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おしなべて峰もたひらになりななむ
山の端なくは月も入らじ

歌の意味
どこも峰が平らになってしまってほしい。山の端がなければ月もそのかげに入らないだろう。
鑑賞
八十二 春の心は

 昔、惟喬(これたか)親王という皇子がいた。山崎よりさらに遠くの水無瀬というところに離宮があり、毎年の桜の花盛りには離宮へ足を運んだ。そのとき右馬寮の長官であった人をいつも連れていた。
 鷹狩りを熱心にすることもなく酒ばかり飲んで和歌に夢中になっていた。鷹狩りをする交野(かたの)の淀川べりの家で素晴らしい桜の木の下に腰を下ろして、お供の者も含めたいろんな階級の人が歌を詠んだ。
 その桜から立ち去り水無瀬離宮の帰るうちに日が暮れた。お供の人が下仕えの人に酒を持たせて交野からやって来た。酒を楽しむために適当な場所を探して、天の河というところに行きついて酒を飲み、歌を詠んで楽しんで、水無瀬離宮へ帰った。
 帰った後も夜更けまで酒を飲み話して、酔った親王が寝所へ入る。月も夜中を過ぎて西に傾き、山の端に隠れようとしていた
 歌は右馬寮の長官が詠んだ「あかなくにまだきも月のかくるるか山の端にげて入れずもあらなむ」を受けて紀有常が詠んだ。
 
 右馬寮の長官が詠んだ歌と同様に月が隠れることと親王が寝所へ入ってしまったことを残念に思う気持ちが詠まれている。右馬寮の長官の気持ちに共感して歌にしたというところか。
 右馬寮の長官は在原業平のことで紀有常と業平は惟喬親王とは親戚の関係になる。惟喬親王は皇太子の望みもあったが、貞明親王が皇太子となったので、惟喬親王は出家する事となる。この段の一同で離宮へと出かける話は惟喬親王が出家前の心の整理の時間だったのか。
作者
出典
伊勢物語

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