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恋せじと御手洗河にせしみそぎ
神はうけずもなりにけるかな

歌の意味
もう恋をしないと決心して神社近くの河で清めて行ったみそぎだが、神は私の願いを受け入れてはくださらなかった。
鑑賞
六十五 忍ぶることぞ

 天皇の寵愛を受けた召し使いの女がいた。女は天皇の母女御と呼ばれる方の従姉妹で禁色の着物を着ることを許されていた。女は清涼殿の殿上の間に出仕していた在原氏であった男と、若い頃から知り合いであった。男は後宮への出入りが許されていた。
 男はたびたび後宮に出入りして女に逢っていた。けれど女は、こうして逢っているといつかは罪を問われ身を滅ぼすことになると言うが男は一向に気にしない。女は距離を取れば男も諦めるだろうかと思い悩んで自宅に行く。しかし、男は「後宮の時のように気を使う必要もない。かえって好都合だ。」と女の自宅へ通い朝帰りを繰り返した。人々もこのことを聞いて、呆れて笑った。
 このように見苦しいことをしながら日々を過ごす男も、このままではだめになり身を滅ぼしてしまうだろうと思った。男は仏や神に自分の狂ったような恋心を止めて欲しいと願ったが、ますますひどくなるばかりだった。男は自分の恋心を静めようと陰陽寮の役人や巫女を呼び、お祓いをする道具を持って河原へ行ってお祓いをしたがますます切ない思いが増すばかりで以前よりも恋しく思う気持ちが強くなった。
 歌はお祓いをしても自分の気持ちがどうにもならないと知った男が詠んだ。

 男はだんだん抑えきれなくなる自分の気持ちを恐れたのか。神仏にすがってでも諦めよう、逃れようと足掻く姿が描かれている。

 御手洗河は神社のそばを流れ、参拝者が手をすすぎ清める河のこと。もとは神山から賀茂神社に流れ貴船片岡の森を通る小川のことを言う。

 登場する男は在原業平で女は藤原氏の家系にある二条后高子であるというのが定説である。高子は天皇の寵愛を受ける立場であり、業平も阿保親王の息子で皇族である。周りからみれば業平が天皇が気に入っている女に横から手をだしているのだから、二人の間柄はとても危ういのだろう。
作者
出典
伊勢物語

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