- 歌の意味
- 山が全て移動して来て今日の法要に参会するのは名残惜しい春の終わりの女御との別れを弔うためなのだろう。
- 鑑賞
- 七十七 春の別れを
田邑の帝(文徳天皇)とお呼びする天皇がいた。その天皇の女御である多賀幾子(たかきこ)という人が亡くなった。安祥寺で法要を行い多くの人がお供え物を差し上げた。多くのお供え物を木の枝につけてお寺の堂の前に立てたので、木の生い茂った山が動いて出てきたように見えた。
それを見た右近衛の大将であった藤原常行が来て、お経の講話が終わると歌を詠む人を集めて今日の法要を題にした春の趣がある歌を詠ませた。
歌は右馬の頭であった老人が、木の枝につけたお供え物を本物の山と見間違えて呼んだ。
女御は皇后、中宮に次ぐ高位の女官で天皇の寝所に侍る。多賀幾子は右大臣藤原良相の長女である。
安祥寺は京都府山科にある。五条后の願いで建立された。
右馬の頭の老人は在原業平のことで業平が四十一歳から五十一歳まで、この職に就いた。
- 作者
- 出典
- 伊勢物語