狩り暮らしたなばたつめに宿からむ
天の河原に我は来にけり
- 歌の意味
- 一日中狩りをして日暮れになった。機織(はたおり)の女に宿を借りよう。天の河原に私は来ていた。
- 鑑賞
- 八十二 春の心は
昔、惟喬(これたか)親王という皇子がいた。山崎よりさらに遠くの水無瀬というところに離宮があり、毎年の桜の花盛りには離宮へ足を運んだ。そのとき右馬寮の長官であった人をいつも連れていた。
鷹狩りを熱心にすることもなく酒ばかり飲んで和歌に夢中になっていた。鷹狩りをする交野(かたの)の淀川べりの家で素晴らしい桜の木の下に腰を下ろして、お供の者も含めたいろんな階級の人が歌を詠んだ。
その桜から立ち去り水無瀬離宮の帰るうちに日が暮れた。お供の人が下仕えの人に酒を持たせて交野からやって来た。酒を楽しむために適当な場所を探して、天の河というところに行きついた。親王に右馬寮の長官が酒をさし上げようとすると、親王が「交野で狩りをして天の河に到ったということを題にして歌を詠んでから杯をさし出せ」と言った。
歌は親王の言葉を受けて右馬寮の長官が詠んだ。
天の河は現在の大阪府枚方市禁野(しめの)の一名で、傍らに「天の川」という川が流れている。歌では地名と七夕の天の河を掛けている。
たなばたには七夕と棚機(たなばた)の女、機(はた)を織るという意味がある。