いざさらば涙くらべん郭公
われも憂き世に音をのみぞなく
- 歌の意味
-
さあそれでは、涙を比べよう、ほととぎすよ。私もこの憂き世で、声をあげて泣いてばかりいるのだから。
- 鑑賞
-
灌頂巻 女院死去
法皇の還御ののち、女院は御本尊に向かわれ、天子聖霊、一門亡魂、成等正覚、頓証菩提と祈り申された。日々は念仏と回向に費やされる。
来し方行く末の、嬉しかったこと辛かったことを思い続けて涙にむせんでおられる折しも、山ほととぎすが二声三声おとずれて通ったので、女院はこの一首を詠まれた。
やがて女院は病の床につく。もとより覚悟の上のことであるから少しも悩む様子もなく、中尊の持つ五色の糸を手にして、南無西方極楽世界教主弥陀如来、本願過ち給わず、必ず引摂し給え、と唱えられた。大納言佐殿と阿波内侍が取りすがって声を限りに泣いたが、静かな微笑をたたえたその顔からは、何の苦しみも見出せなかった。建久二年二月の中旬のことである。西の空に紫の雲がたなびき、珍しい匂いが部屋中に満ちあふれ、妙なる楽の音が聞こえてくるなかを、昇天された。
ほととぎすに向かって、涙比べをしようと呼びかけている。「音を鳴く」は声をあげて泣くことで、鳥の鳴き声と人の泣き声を同じ語で言う。
鳥は鳴き、自分は泣く。どちらがより多く泣いているか比べようという、遊びの形をとった呼びかけである。しかし比べる相手が鳥しかいないということが、この人の孤独をそのまま示している。
注目したいのは、灌頂巻の最初の歌も同じほととぎすであったことである。「郭公花たちばなの香をとめて鳴くは昔の人ぞ恋しき」——出家した直後、女院は鳥の鳴く理由を昔の人への恋しさだと見た。あのときは鳥に自分の心を預けていた。ここでは、鳥と自分とを並べて比べている。預けるのをやめて、並んだ。
物語の最後に置かれた女院の歌が、鳥への呼びかけであることには意味がある。呼びかけるべき人が誰も残っていない。二位殿も先帝も海に沈み、一門は絶え、法皇は帰っていった。残ったのは、季節が来れば必ず鳴く鳥だけである。
この一首の後、女院は病につき、紫雲のたなびくなかで往生を遂げる。平家物語はそこで終わる。祇園精舎の鐘の声に始まった物語が、ほととぎすの声に終わることになる。
いざさらば……さあそれでは。
涙くらべん……涙を比べよう。
郭公……ほととぎす。
憂き世……つらいこの世。
音を鳴く……声をあげて泣く。「鳴く」と「泣く」を掛ける。
のみぞ……ばかり。
回向……功徳を死者に向けること。
五色の糸……臨終に仏の手と結ぶ糸。
引摂……仏が迎え取ること。
建久二年……一一九一年。
紫雲……往生のしるしとされる紫の雲。
- 出典
-
平家物語
- その他の歌
-