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逢ふことは今は限りと思へども
涙は絶えぬものにぞありける

歌の意味
逢うことはもうこれきりだと思っているけれど、涙だけは絶えないものであった。
鑑賞
7 あかぬ別れ

 男と女が相知って年を経て暮らしていたが、ほんの些細なことがもとで別れてしまった。とはいえ飽きて離れた年もなかったからだろうか、男もしみじみと心を残して、この歌を言い送った。女もまた、この歌をしみじみと思ったという。地の文はこれだけで、段はこの一首をもって閉じられる。
 男女いずれについても、地の文は名も身分も記していない。実名の歌人による贈答が並ぶ大和物語のなかでは、無名の男女を扱う短い段にあたる。
 場面の時期や場所も明示されない。示されているのは、二人が長年連れ添ったのち、些細なことで別れたという経緯だけである。
 詠出の直接の契機は、別れたあとも男の側に心が残っていたことである。地の文は「飽く年もなくて」と、二人が互いに飽きて別れたのではないことを断っており、そのうえで男の歌が置かれる。
 歌のあと、女もあはれと思ったと記される。返歌はなく、女の側の反応が地の文で一言述べられるだけで段は終わる。この歌は新勅撰集に収められている。

 上の句の「逢ふことは今は限りと思へども」で、もう逢うことはないと自分に言い聞かせる。「限り」は最後、それきり、の意である。「ども」の逆接が、その言い聞かせが通らないことを予告する。
 下の句の「涙は絶えぬものにぞありける」で、それでも涙は絶えないと述べる。心の判断と、体の側に起きる涙とを切り離して並べる作りで、五段の大輔の歌「わびぬれば今はと物を思へども心に似ぬは涙なりけり」と同じ組み立てにあたる。
 「ぞ」の係りが結句の「ける」で結ばれている。この「ける」は、そういうものだったのだ、と今気づいたことを示す言い方で、涙が止まらないことを自分でも意外に思っている調子が出る。
 地の文が「飽く年もなくて」と断っているため、歌の涙には理由があらかじめ与えられている。歌のあとに女の反応が一言添えられるだけで、贈答の形をとらずに段が閉じられる。

あひ知る——男女が親しい仲になる。知り合う。
いささかなること——ほんの些細なこと。
飽く(四段動詞)——心が離れる。いやになる。
限り——最後。それきり。
あはれ——しみじみと心に深く感じること。
言ひやる(四段動詞)——言い送る。手紙などで伝える。
ぞ〜ける——係り結び。強調を表す。
けり——〜だったのだなあ。気づきや詠嘆を表す。
出典
大和物語
その他の歌