大澤の池の水くき絶えぬとも
なにか恨みむさがのつらさは
- 歌の意味
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大沢の池の水草の茎が絶えたとしても、どうして恨んだりしようか。嵯峨のつれなさなど。
- 鑑賞
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8 一夜めぐりの君
監の命婦のもとに中務の宮がお通いになっていたころ、方が塞がっているので今宵はうかがえない、と宮が仰せになったので、その御返しに「逢ふことの方はさのみぞふたがらむひと夜めぐりの君と思へば」を差し上げた。すると、方は塞がっていたにもかかわらず、宮はおいでになって泊まっていかれた。また、久しく音沙汰がなかったのち、宮から、嵯峨の院で狩をしていたので久しく消息もしなかった、気がかりに思っただろう、と言ってこられたので、その御返しに「大澤の池の水くき絶えぬともなにか恨みむさがのつらさは」を差し上げた。この歌に対する宮の返しは、前の歌に劣っていたのだろうか、人が忘れてしまった。以上が段の全体である。
監の命婦は大和物語に繰り返し登場する女房で、十段、七十一段などにも歌が見える。命婦は宮中に仕える中級の女官の称である。中務の宮については、中務卿にあたる宮という以外、地の文に記載がない。
場面はその後、宮からの音沙汰が久しく絶えていた時期である。嵯峨の院は嵯峨天皇の離宮で、大沢の池がある。のちに大覚寺となった地である。
詠出の直接の契機は、宮からの言い訳の言葉である。嵯峨の院で狩をしていたので便りもしなかった、気がかりだったろう、という趣旨で、そこに嵯峨の地名が含まれている。歌はその御返しとして差し上げられた。
この歌に対して宮も返しを詠んだが、前の歌に劣っていたのだろうか、人が忘れてしまったと地の文は記す。歌が伝わり残るかどうかで出来を測る書き方で、段はその一文で閉じられる。
「水くき」は水草の茎と、筆跡をいう「水茎」との掛詞である。水草が絶えることと、手紙が絶えることとが、この一語で重なる。
「さが」は地名の嵯峨と、生まれつきの性質をいう「性」との掛詞になっている。
表向きは、大沢の池の水草が絶えたからといって嵯峨という土地を恨みはしない、と言っている。裏では、便りが絶えたからといってあなたの性のつれなさを恨みはしない、と言っている。「絶えぬとも」の「とも」は仮定の逆接で、たとえそうなったとしても、という譲歩を作る。
「なにか恨みむ」は反語で、恨まないと言いながら実際には恨みを述べる形になる。結句を「さがのつらさは」と倒置で置き、恨みの対象を最後に名指して終わる。宮が言い訳に持ち出した嵯峨の地名を、そのまま掛詞の材料に取り込んでいる点は、前の歌「逢ふことの方はさのみぞふたがらむひと夜めぐりの君と思へば」の切り返しと同じ手口である。
嵯峨の院——嵯峨天皇の離宮。大沢の池がある。
水くき——水草の茎と、筆跡をいう「水茎」との掛詞。
さが——地名の「嵯峨」と、生まれつきの性質をいう「性」との掛詞。
つらし——冷淡だ。薄情だ。
なにか〜む——どうして〜だろうか、いや〜ない。反語を表す。
おぼつかなし——気がかりだ。不安だ。
消息(せうそこ)——便り。手紙。
とも——たとえ〜としても。仮定の逆接。
- 出典
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大和物語
- その他の歌
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