あふことのなみの下草み隠れて
しづ心なくねこそなかるれ
- 歌の意味
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逢うこともない、その波の下の草のように身を隠して、落ち着いた心もなく、声を上げて泣くばかりだ。
- 鑑賞
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113 井手の里
その兵衛尉もろただが、橘公平の三女と疎遠になってから、祭の舞人に指名されて出かけていった。そこに三女たちが見物に来ていたのだった。やがて帰ってから、三女がもろただに「むかし着てなれしをすれるころも手をあなめづらしとよそに見しかな」と贈った。するともろただは山吹につけて「もろともに井手の里こそ恋しけれひとりをり憂き山吹の花」と寄こした。これに対する女からの返しは知らないが、まだ男が通っていたころに三女が贈った歌に「大空もただならぬかな神無月われのみ下にしぐると思へば」があり、また同じ三女の歌に「あふことのなみの下草み隠れてしづ心なくねこそなかるれ」がある。以上が段の全体である。
橘公平は大膳職の長官を務めた人で、その娘たちはあがたの井戸と呼ばれる所に住んでいた。長女は后の宮に少将の御という名で仕えた。三女は源信明が若いころ初めての恋人にした人で、百十一段から百十三段、および百十六段に歌が見える。もろただは兵衛尉を務めた男で、前の百十二段にも登場する。
場面は同じく、まだ男が通っていたころである。
詠出の直接の契機は地の文に記されない。示されているのは、これも同じ三女の歌である、ということだけである。
段はこの一首で閉じられる。祭の日の歌、山吹の歌、時雨の歌と続いて、この一首で終わる構成になっている。この歌は新古今集に収められている。
「あふことのなみ」の「なみ」に、波と、無いことをいう「無み」とが掛かる。逢うことがない、と、波、とが重なる。
「下草」は水底に生える草である。波の下に隠れているものとして置かれる。
「み隠れて」は、身を隠して、の意である。人目を避けて泣いていることを示す。
結句の「ねこそなかるれ」の「ね」に、草の根と、声をいう「音」とが掛かる。「こそ」の係りが「なかるれ」で結ばれる。根も定まらず揺れる水草と、声を上げて泣く自分とが重なる形になる。波、下草、根と、水の語で一貫させながら、人目を忍んで泣くことを述べた一首である。
あふこと——逢うこと。
なみ——「波」と「無み(無いので)」との掛詞。
下草(したくさ)——水底に生える草。
み隠る(下二段動詞)——身を隠す。
しづ心——落ち着いた心。静かな心。
ね——「根」と「音(声)」との掛詞。
なく(四段動詞)——泣く。
こそ〜るれ——係り結び。強調を表す。
- 出典
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大和物語
- その他の歌
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