冴えし夜の氷は袖にまだとけで
冬の夜ながら音をこそは泣け
- 歌の意味
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あの冴えた夜の氷は、私の袖にまだ解けないままで、冬の夜のままのように、声を上げて泣いてばかりいる。
- 鑑賞
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第二十五段 宮仕えの生活
十二月二十五日、宮の御仏名に召しがあったので、その夜だけと思って参上した。白い衣に濃い掻練を皆が着て、四十人あまりが並び居ている。作者は手引きしてくれた人の陰に隠れ、その中にわずかに顔を出しただけで、暁には退出した。雪がちらつき、たいそう激しく冴え凍る暁方の月が、ほのかに濃い掻練の袖に映るのも、まことに涙に濡れた顔のようである。その帰り道で一首を詠んだ。
こうして出仕したからには、宮仕えにも慣れ、世間にまぎれて、ひねくれ者との評判さえ立たなければ、自然と人並みに扱っていただけたかもしれないのに、親たちはそれをわきまえず、ほどなく作者を家に閉じ込めてしまった。とはいえ暮らし向きがたちまち華やかになるはずもなく、あの根拠のない浮ついた期待とは、思いのほかに違う有様である。作者はもう一首をひとりごちて、それきりにした。
その後は何かと紛れて物語のことも忘れ、実直な心になりきってから、どうして長い年月をむだに寝起きして、行いも物詣もしなかったのだろうと悔やまれる。光源氏のような人がこの世におられようか、薫大将が宇治に人を隠し据えるような世でもない、なんと物狂おしい、なんとつまらない心であったことか、と思い定めるのだが、そう実直に暮らしきれるかというと、そうもなりきらない。やがて、若い人を出仕させよとの仰せに従って出した者に引かれ、作者も時々出仕するようになる。慣れた人が何事にも板についているのに対し、自分は若い女房でもなく、年配として重んじられるでもなく、時々の客のように離れて置かれているが、宮仕え一つを頼みにするわけではないので、かえって気楽に思われた。
内裏の御供に参ったとき、有明の月がたいそう明るい。念じ申す天照御神は内裏においでになるというので、四月ごろの月の明るい夜、ひそかに参って拝んだ。翌る夜も月が明るく、藤壺の東の戸を押し開けて人々と月を眺めていると、梅壺の女御が上られる気配が奥ゆかしく優美で、故宮のおいでの世であったならこのように上られたであろうにと人々が言い出すのも、しみじみと感じられて一首を詠む。
冬になって、月もなく雪も降らないまま、星の光で空がくまなく冴えわたった夜、殿の御方に仕える人々と語り明かし、明ければ別れ別れになって退出した。そのことを思い出した人から歌が届き、作者も同じ心であったので返した。御前に臥して聞くと池の鳥が夜通し騒ぐので、目もさめて一首をひとりごつと、かたわらに臥しておられた人が聞きつけて返した。また、語り合う人どうし局の隔ての遣戸を開け合わせて過ごす日、その人を何度も呼び下ろす方があり、ぜひにと言われるなら参りましょう、とあるので、枯れた薄につけて一首を贈った。
作者は菅原孝標女。出仕したのは後朱雀天皇の皇女祐子内親王のもとである。「故宮」はその母君で、すでに亡くなっていた。梅壺の女御は宮中の梅壺を御殿とした女御、博士の命婦は内侍所に仕えた女房である。「同じ心なる人」「かたはらに臥し給へる人」「語らふ人」については、原文に名も素性も記されていない。
冬。作者からの返しである。
「月もなく花も見ざりし冬の夜の心にしみて恋しきやなぞ」と言ってきた相手に対し、作者も同じ気持ちであったのがおもしろく思われて詠んだ返しである。
この贈答ののち、御前に臥して池の鳥の声を聞く場面へと続く。
初句「冴えし夜の」は、あの冷たく澄みわたった夜の、の意で、「し」は過去の助動詞「き」の連体形。相手の歌の「冬の夜」を承ける。第二句「氷は袖に」は、袖に凍りついた涙をいう。第三句「まだとけで」の「で」は打消の接続助詞で、まだ解けないままで、となる。第四句「冬の夜ながら」は、あの冬の夜のままで、の意。結句「音をこそは泣け」は強意の係助詞「こそ」と已然形「泣け」による係り結びで、「音を泣く」は声を上げて泣くこと。「冴ゆ」「氷」「とく」が縁語として連なり、冷たさの語で一首がつながれている。相手が、月も花もない夜がなぜこれほど恋しいのか、と問うたのに対し、こちらはその答えを言わず、あの夜の涙がまだ乾かないと述べることで、恋しさの深さを涙という形で示している。宮仕えの場でできた友との別れが、同じ段の「年は暮れ夜は明けがたの月かげの袖にうつれるほどぞはかなき」で袖に映った月と同じく、袖の上に置かれている点も響き合っている。
冴ゆ:冷たく澄みわたる
音(ね)を泣く:声を上げて泣く
- 作者
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菅原孝標女
- 出典
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更級日記
- その他の歌
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