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今宵より後の命のもしもあらば
さは春の夜を形見と思はむ

歌の意味
今宵より後の命がもしもあるならば、それでは、この春の夜を形見と思おう。
鑑賞
第二十六段 春秋のさだめ

 上達部や殿上人に応対する女房は決まっているようなので、まだ不慣れな里下がりがちの身では、いるかいないかさえ知られるはずもない。十月の初めごろのたいそう暗い夜、不断経で声のよい僧たちが読む時分だというので、そちらに近い戸口へ二人ばかり出て、聞きながら物語をして寄り伏していると、参上する人があった。逃げ込んで局の人々を呼び上げるのも見苦しい、かまわない、ただこの折のままで、ともう一人が言うので、傍らで聞いている。落ち着いて静かな気配で物を言うのが、悪くない様子である。もう一人はどなたか、などと尋ねて、世間並みの出し抜けな懸想めいたことも言わず、世の中のしみじみとしたことなどを細やかに語り出し、それでいて厳しく引き下がりにくい節々があって、こちらも相手も答えなどする。まだ知らない人がいたとは、と珍しがって、すぐには立ちそうもない。星の光さえ見えない暗さに時雨が降りかかり、木の葉に当たる音が趣深いのを、かえって艶で趣のある夜だ、月がくまなく明るいのも気づまりでまばゆかったであろう、と言う。
 そして春秋のことを語り出し、春霞が趣深く空ものどかに霞み、月の面もそれほど明るくなく遠く流れるように見えるところに琵琶の風香調をゆるやかに弾き鳴らすのはたいそうすばらしい、また秋になって月がたいそう明るく、空は霧がかかっていても手に取るばかりに澄みわたり、風の音や虫の声を取り集めた心地がするところに箏の琴をかき鳴らし横笛を吹きすますのは、春がなんだと思われる、いや、そうかと思えば、冬の夜、空まで冴えわたり雪が降り積もって光り合うところに篳篥が震え出るのは、春も秋もみな忘れてしまう、と語り続けて、どちらにお心がとまるか、と問う。同席の人が秋の夜に心を寄せて答えたので、作者は同じようには言うまいと思って一首を答えた。相手はそれを繰り返し口ずさみ、では秋の夜はお捨てになったのですね、と言って一首を返す。すると秋に心を寄せた人がまた一首を詠んだ。相手はたいそう興じ、思い迷った様子で、唐土でも昔から春秋の定めはできないというのに、これほどお分けになったお心には理由があるのでしょう、と述べ、斎宮の御裳着の勅使として下ったとき、降り積もった雪に月が明るく、円融院の御代から仕えていた人が神さびた気配で古い話をし、よく調べた琵琶を差し出したことがこの世のこととも思われなかったと語り、以来、冬の雪の夜こそ心にしみると言う。今宵からは暗い闇の夜の時雨も心にしみるでしょう、斎宮の雪の夜に劣る気もしません、などと言って別れた。
 誰と知られまいと思っていたが、翌年の八月、内裏に参られる折、一晩じゅう殿上で管絃の遊びがあり、この人が伺候していたとも知らず、その夜は下で明かして細殿の遣戸を押し開けて外を見ていると、暁方の月があるかなきかに趣深い。沓の音がして読経する人があり、その人が遣戸口に立ちどまって物を言うので答えると、相手はふと思い出して、あの時雨の夜が片時も忘れられず恋しい、と言う。長々と答えられる時ではないので、作者は一首を言いさし、人々がまた来合わせたのでそのまま滑り入り、その夜のうちに退出した。同席していた人を尋ねて返しをしたなどと、後になって聞く。あのときのような時雨であれば、琵琶の音を覚えているかぎり弾いて聞かせよう、とのことだと聞いて、作者はゆかしく思い、しかるべき折を待つが、まったくない。
 春ごろ、のどやかな夕方に、参上したと聞いて、その夜同席した人といざり出たが、外にも人々が参り、内にもいつもの人々がいるので、出かけては入ってしまう。あの人もそう思ったのだろうか、しめやかな夕暮れを見計らって参上したのに、騒がしかったので退出するらしい。そこで一首を贈っただけで終わってしまった。あの人の人柄もたいそう実直で世間並みでない人なので、その人はどうしている、あの人はどうしている、などと尋ねることもなく過ぎてしまった。

 作者は菅原孝標女。作者たちと語らった殿上人については、原文に名が記されていない。「秋に心を寄せたる人」「もろともなりし人」は同席していた同僚の女房で、いずれも名は記されていない。不断経は昼夜絶やさずに経を読み続ける法会、風香調は琵琶の調子の一つ、篳篥は雅楽に用いる縦笛である。斎宮は伊勢神宮に奉仕する未婚の内親王
女王、円融院は円融天皇を指す。

 十月の初めごろの、時雨の降る暗い夜。宮の御所の戸口である。

 作者が「浅緑花もひとつに霞みつつおぼろに見ゆる春の夜の月」と答えたのを、相手が繰り返し口ずさみ、それでは秋の夜はお捨てになったのですね、と言ったのに続けて詠まれた。

 これを受けて、秋に心を寄せた人が「人はみな春に心をよせつめりわれのみや見む秋の夜の月」を詠み、相手はたいそう興じて、春秋の定めは唐土でも昔からつかないものだ、と語り続けることになる。

 初句「今宵より」は今夜から先、の意。第二句「後の命の」は、これから先の命が、の意である。第三句「もしもあらば」は字余りで、もしあるならば、と仮定を立てており、命の保証のなさを言い添えることで、この夜を重く扱う構えを作る。第四句「さは春の夜を」の「さは」は、それでは、の意で、相手の答えを受けて自分の立場を改める言い方。結句「形見と思はむ」の「む」は意志の助動詞で、形見として思おう、と結ぶ。作者が春を選んだのを受け、では自分もこの春の夜を形見にしよう、と応じており、直前に口にした、それでは秋の夜はお捨てになったのですね、という言葉がそのまま歌になっている。時雨の降る十月の夜に「春の夜」と言うのは、目の前の景ではなく、いま作者の歌によって現れた春を指しており、歌が景を作り出す形になっているところがこの一首の要である。

誦(ず)ず:声に出して口ずさむ
思しすつ:お捨てになる。「思し」は尊敬の意を添える
もろこし:中国
御裳着(おんもぎ):女子が成人して初めて裳を着ける儀式
勅使:天皇の使者
出典
更級日記
その他の歌