世の常の宿の蓬を思ひやれ
そむき果てたる庭の草むら
- 歌の意味
-
あなたのは世間並みの家の蓬でしょう。思いやってください、すっかり世を背いた私の庭の草むらを。
- 鑑賞
-
第三十五段 後の頼み
さすがに命は、つらさにも絶えず長らえているようだが、現世がこうである以上、後の世も思うにかなわないだろうと気がかりであるなかで、頼みとすることが一つだけあった。天喜三年十月十三日の夜の夢に、住んでいる家の軒先の庭に阿弥陀仏が立っておいでになる。はっきりとはお見えにならず、霧が一重隔たっているように透けて見えるのを、無理に絶え間から拝すると、蓮華の座は土から三、四尺上がっており、仏の御丈は六尺ばかりで、金色に光り輝いておいでになる。御手は片方を広げたように、もう片方には印を結んでおられる。ほかの人の目には見えず、自分ひとりが拝しているのだが、さすがにたいそう恐ろしいので、簾のもと近くに寄って拝むこともできずにいると、仏が、それでは今度は帰って、後に迎えに来よう、と仰せになる声が、自分の耳ひとつに聞こえて、人には聞きつけられないと見て、はっと目が覚めると十四日であった。この夢だけを後の世の頼みとしたのである。
甥たちなどと一つ所で朝夕顔を合わせていたが、あのしみじみと悲しいことの後は、それぞれ別々に住むようになりなどして、誰とも顔を合わせることがまれになっていた。そこへたいそう暗い夜、六郎にあたる甥が訪ねて来たので、珍しく思われて一首が口をついた。
親しく語らう人が、こうなって後は音沙汰がないので、作者は一首を贈る。十月ごろ、月がたいそう明るいのを泣きながら眺めて、また一首を詠む。
年月は過ぎ変わっていくけれど、夢のようであったころを思い出すと心も惑い、目の前も暗くなるようなので、そのころのことはまだはっきりとも覚えていない。人々はみなよそに離れて住み、古い家にひとり、たいそう心細く悲しくて、眺め明かしあぐねて、久しく便りのない人に一首を贈った。相手は尼になっている人で、返しが届いた。
作者は菅原孝標女。「あはれに悲しきこと」は夫の死を指し、夫は橘俊通である。六郎にあたる甥は作者の甥であるが、原文に名は記されない。久しく便りのなかった人は尼になっていた人で、これも名は記されていない。姥捨は信濃の国の山で、月の名所として、また老いた女を捨てたという伝えによって知られる。
夫の死から年月を経てのち。尼になっていた人のもとから、京の古い家の作者へ寄こされた返しである。
「茂りゆく蓬が露にそぼちつつ人にとはれぬ音をのみぞ泣く」と言い送ってきた作者への返しとして詠まれた。
この一首をもって『更級日記』の歌は終わる。作者の詠に対して他者が答えるという形で日記が閉じられており、訪う人のないことを嘆いた歌に、なお答える人があったことになる。
初句「世の常の」は、世間並みの、ふつうの、の意で、相手の家をそう位置づける。第二句「宿の蓬を」は、その家に茂る蓬のことで、作者の歌の語をそのまま受けている。第三句「思ひやれ」は動詞「思ひやる」の命令形で、思いを向けてください、と呼びかける。第四句「そむき果てたる」は、すっかり世を背いた、すなわち出家しきった、の意。結句「庭の草むら」は体言止めで、命令形「思ひやれ」の目的語がここに置かれる倒置になっている。相手の嘆きを否定するのではなく、自分の庭はもっと荒れていると重ねてみせる形で、荒れた庭を競い合うようにして慰めている。作者がなお世への思いを残したまま古い家にとどまっているのに対し、この人はすでに世を背き果てており、同じ草むらでも意味が違う。日記の最後に置かれた歌が、出家した人の口から、世を背くことについて語られている点は、後の世を頼みとして生きるほかない作者の姿と響き合っている。
世の常:世間並み。ふつう
宿:家。住まい
思ひやる:遠くにいる相手に思いを向ける
そむき果つ:すっかり世を捨てる。出家しきる
- 出典
-
更級日記
- その他の歌
-