其のかみに頼めし事の変はらねば
なべて昔の世にやかへらん
- 歌の意味
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昔に約束したことが変わらないのだから、すべて昔の世に返るのであろうか。
- 鑑賞
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第十五 浦千鳥
院の上は、御位におられた程はかえってさるべき女御
更衣も候われなかったが、降りられて後は御心のままによく紛れられる程に、この頃はいどみ顔の御方々が数を添えられた。それでもなお遊義門院の御志に立ち並ばれる人はおさおさない。中務の宮の御女も押しなべたらぬ様にもてなし申される。勝れた御覚えではないが、御姉宮が故院に渡られたよりはいと重々しく思しかしずかれて、後には院号があり永嘉門院と申した。また一条の摂政殿の姫君も、当代が堀川の大臣の家に渡られていた頃、上臈として十六で参られた。初めつ方は基俊の大納言と疎からぬ御中であられたが、かの大納言の東下りの後に院へ参られる程に、事の外にめでたくて内侍のかみになられたのは、昔を覚えて面白い。加階された朝、院より歌が遣わされ、内侍のかみの君が御返しをされた。露霜が重なって程なく徳治二年にもなった。遊義門院がそこはかとなく御悩みと聞こえたので、院の思し騒がれる事は限りない。万に御祈り
祭り
祓いと罵ったが甲斐ない御事で、いとあさましくあえない。院もそれ故に御髪をおろされて、ひたぶるに聖にならせ給うた。その程の様々のあわれは思いやるべきである。明くる年の春、八幡の御幸の御帰りざまに東寺に三七日おられ、御灌頂の御加行と聞こえる。仁和寺の禅助僧正を御師範として、かの寛平の昔を思われるのか密宗を学せられた。六月には亀山殿で御如法経を書かれる。御髪をおろされて後はおおかた女房は仕えず、男が番に下りて御台なども参らせ、万に仕える。いつも御持斎でおられた。故女院はいと有り難き善知識でおられたという。嵯峨の今林殿で御仏事なども日々怠らずされる。この今林は北山の准后のおられた跡である。遊義門院の御髪で梵字を縫わせられ、その御手のうらに法華経を一字三礼に書かせられて摂取院で供養された。大覚寺の覚守僧正が御導師である。故女院の御骨も今林に法華堂を建てて置き奉られたので、月ごとの二十四日には必ず御幸があった。思い入られた程はいみじいことであった。かくて八月の初めつ方から内の上が例ならずおられるとて、様々の御修法、五壇
薬師
愛染、色々の秘法ども、諸社の奉幣神馬と罵り騒いだが、むげに不覚になられて、二十三日に御気色が変わるとて世の響きは言わん方ない。馬
車が走り違い、所もないまで人々が参りこんだがいと甲斐なく、二十五日子の時ばかりに果てられた。火の消えたような、かき暗れた雲の上の気色は、言わずとも推し量られよう。中宮は徳大寺の公孝の太政大臣の御女である。珍しくかの御家にこうした事がいたくなかったのに、御覚えもめでたく候われていたので、あさましとも言わん方ない。二十八日にまかでられた。先帝の御わざの沙汰があり、院号があって後二条院と申す。堀川の右大将具守が御車を寄せられる。心の中はいかばかりであられたか。御素服を着られなかったのを、思わずなる事と世の人も言い沙汰した。内侍のかんの君も様を変えられる。中宮も院号があって長楽門院と申す。春宮は正親町殿へ行啓されて剣璽が渡され、八月二十五日に践祚となる。十二におなりであった。持明院殿にはいつしかめでたい事どもばかりが聞こえる。大覚寺殿には遊義門院の御事にうち添えて、御涙の干る世なく思われるべきである。帥の御子の御事を東へ宣い遣わされたのに相違ないとて、九月十九日に立太子の節会があって坊に居られた。今はと世をとじむる心地であった人々も少し慰められたであろう。その年十月が大であったのを保元の例とかやとて、十一月一日に宣下せられた。新しき御代にあたって月日さえ改まったのである。十一月十六日に御即位があり、摂政は後照念院殿冬平で、今日は御悦び申しがあってやがて行幸に参られた。延慶二年十月二十一日に御禊、同じ二十四日に大嘗会、応長元年正月三日、御年十五で御冠をされる。御諱を富仁と申す。引き入れには関白殿、理髪は家平が仕えられた。南殿の儀式が果てて御装いを改め、更に出でられて清涼殿で御遊びが始まる。摂政殿が箏、右大将公顕が琵琶、土御門の大納言冬時が笙、和琴は大炊御門中納言冬氏、笛は西園寺の中納言兼季で、めでたく様々面白くて明けた。五日には後宴とて今少しなつかしく面白い事どもがあった。この御門を新院の御子になし奉られたので、朝覲の行幸の御拝などもこの御前であった。広義門院も同じく国母の御心地で万めでたかった。院の上はそれほど和歌の道に御名高くいみじくおられるので、いかばかりかと思われたが、正応に撰者どもの事ゆえに煩いどもがあって撰集もなかったので、いとど口惜しく思われて御歌を詠まれた。今だにと急ぎ立たれて、為兼の大納言が承って万葉よりこなたの歌どもを集められる。正和元年三月二十八日に奏せられ、玉葉集という。この為兼の大納言は為氏の大納言の弟で為教の右兵衛督といった人の子である。限りなき院の御覚えの人でこう撰者にも定まった。そねむ人々も多かったが、さわろうか。この院の上が好み詠まれる御歌の姿は、前の藤大納言為世の心地には変わっていた。御手もいとめでたく、昔の行成の大納言にも勝られるなどと時の人は申した。正和も二年になった。今年御本意を遂げようと思される。長月の暮れつ方、賀茂に忍んで御籠りの程、をかしい様の事どもがあった。近く候う女房どもも打ちしおたれつつ、つごもりがたの空の気色がいと物あわれであるところに御製が詠まれ、また一首が続く。人々もさっと時雨わたって、袖の上は今日を限りの秋の名残よりも忍びがたい。大納言の三位為子が詠み、また誰のものか一首が伝わる。十月十五日、伏見殿へ御幸がある。限りの旅と思されるので、えも言わず引きつくろわれた。庇の御車である。上達部
殿上人が数知らず仕えられた。世の政事なども新院に譲り奉られたので、御心静かにのみ思されて伏見殿がちにばかりおられた程に、そこはかとなく御悩みが月日を経て、文保元年九月三日に隠れられた。伏見院と申す。御母玄輝門院、永福門院などの御歎きは思いやるべきである。御門は御軽服の儀なので天の下も色を変えない。この院には姫君が数多おられたが、院号は章義門院
延命門院ばかりでおられる。二条富小路の昔の院の跡に東より造って奉った内裏へ、この頃御わたましがあったのなどはいといと面白かった。近き事は皆人が御覧じたので、かえって止めたと語り手はいう。
院の上と申すのは、巻の初めでは後宇多院を指す。遊義門院の御事の後に御髪をおろされ、ひたぶるに聖になられた方である。巻の中ほどよりは伏見院を指し、和歌の道に御名高く、為兼の大納言に玉葉集を撰ばせられ、正和二年に御本意を遂げられて、文保元年九月三日に崩じられる。遊義門院は後深草院の御女で、後宇多院に参られた方である。中務の宮の御女は後に永嘉門院と申した。内侍のかみの君は一条の摂政殿の姫君で、初めは当代が堀川の大臣の家におられた頃に上臈として参られ、基俊の大納言と疎からぬ御中であられたが、その東下りの後に院へ参られた方である。内の上は後二条院で、この巻で徳治二年八月二十五日に崩じられる。中宮は徳大寺の公孝の太政大臣の御女で、後に長楽門院と申す。堀川の右大将具守も御門にゆかりの人である。春宮は花園天皇で、八月二十五日に十二で践祚され、御諱を富仁と申す。新院は後伏見院、広義門院はその女御にあたる。帥の御子は大覚寺殿の御子で、この年九月十九日に坊に居られた。為兼の大納言は為氏の大納言の弟で為教の右兵衛督といった人の子であり、玉葉集の撰者となった。大納言の三位為子はその同胞にあたる。前の藤大納言為世は歌の姿を異にした人である。玄輝門院は伏見院の御母、永福門院は西園寺実兼の御女で伏見院の中宮であられた方、章義門院
延命門院は伏見院の姫君である。
一条の摂政殿の姫君は、当代が堀川の大臣の家に渡られていた頃、上臈として十六で参られた。初めつ方は基俊の大納言と疎からぬ御中であられたが、かの大納言の東下りの後に院へ参られる程に、事の外にめでたくて内侍のかみになられた。
内侍のかみは内侍司の長官で、女官の最上位にあたる。その職に上ることは古くは后に准ずる格の重さを持ち、地の文が昔を覚えて面白いと評するのもこの由による。加階された朝のことである。
加階された朝、院より遣わされた歌である。院の上はこの巻の初めでは後宇多院を指し、遊義門院の御事の後に御髪をおろされる方である。
内侍のかみの君はこれに「契りこし心の末は知らねども此の一言や変はらざるらむ」と御返しをされた。
この後、徳治二年に遊義門院が御悩みの末に隠れられ、院もそれ故に御髪をおろされる記事へ移る。
初句「其のかみに」は昔にの意で、二人の間に交わされた約束の時をいう。第二句「頼めし事の」の「頼む」は他に期待をかけさせる意で、こちらから約束して当てにさせた事をいう。第三句「変はらねば」の「ば」は順接の確定条件で、その約束が変わらないのだからと理由を述べる。ここまでが根拠で、下の句が帰結となる。第四句「なべて昔の」の「なべて」はすべて、一様にの意で、一つの約束が果たされたことから、事のすべてが昔に返ると広げてゆく。結句「世にやかへらん」の「や」は疑問の係助詞、「ん」(む)は推量である。内侍のかみという職が古くは重い格を持っていたことを地の文が昔を覚えて面白いと評しているのに応じ、その昇進を昔の世が返ってきたことのしるしと読み替えている。一人の女房の加階という私の慶事を、時代そのものの回帰へ引き上げる構えで、公私を重ねて祝う型に属する。初句の「そのかみ」は、巻十四で伏見院が櫛に添えて詠まれた「おとめ子がさすや小櫛の其のかみをともになれにし時ぞ忘れぬ」と同じ語であるが、あちらが髪との掛詞として働くのに対し、こちらは昔の意だけで用いられている。
そのかみ:昔、その当時
頼む:期待をかけさせる、当てにさせる
なべて:すべて、一様に
内侍のかみ:内侍司の長官。尚侍
加階:位階が上がること
- 作者
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後宇多院
- 出典
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増鏡
- その他の歌
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