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もえ出るもかるるも同じ野辺の草
いずれか秋にあわではつべき

歌の意味
芽を出す草も、枯れてゆく草も、同じ野辺に生える草だ。そのうちのどれが、秋に遭わずに終わることができるだろうか。
鑑賞
巻第一 妓王

 平家物語の巻第一は、平家の祖先の由来から説き起こし、平忠盛の昇殿、平清盛の台頭、一門の栄華、そして延暦寺の強訴までを描く。その栄華のただ中に置かれているのが、白拍子
妓王の物語である。
 妓王は、妹の妓女、母の刀自とともに京で暮らす白拍子だった。その舞と美貌によって平清盛に見出され、三年のあいだ寵愛を受け、毎月の手当ても届いて一家の暮らしは安泰だった。ところがそこへ、加賀出身の若い白拍子
仏御前が売り込みに現れる。清盛は一度は門前払いにしたが、妓王がとりなして対面させたところ、清盛は仏御前の歌と舞にすっかり心を奪われ、たちまち妓王を邸から追い出してしまう。恩を売った相手にその座を奪われる形になった妓王は、口答えもできぬまま、三年住み慣れた西八条の邸を去ることになった。去りぎわ、居間の障子に書きつけたのがこの一首である。
 この歌を残して去ったのち、妓王への仕送りは途絶え、世間の噂は仏御前へ移った。翌春、清盛は退屈している仏御前を慰めよと妓王を呼びつけ、人前で歌い舞わせて恥をかかせる。耐えかねた妓王は二十一歳で髪を下ろし、妹と母とともに嵯峨野の庵に籠もった。やがてその庵の戸を叩いたのは、障子に残されたこの歌を読んで我が身の行く末を悟った仏御前だった。

 「もえ出る」草と「かるる」草を並べて、どちらも同じ野辺の草だと言う。今を盛りの仏御前と、捨てられた自分を、同じ野に生える草に重ねた表現である。
 眼目は下の句の「秋」で、季節の秋と、人に飽きられる「飽き」とを掛けている。秋が来れば野辺の草はどれも枯れる。つまり、清盛に飽きられる日は誰の身にも来る、と言っているのである。恨み言を一語も使わず、草の摂理として言い切ってしまうところに、この歌の強さがある。
 そしてこの一首は、そのまま仏御前を出家へ導く伏線として働く。平家物語の巻第一のなかで、和歌が物語そのものを動かす数少ない例である。

もえ出る……芽を出す。「萌え出づ」。
かるる……枯れる。人が離れてゆく「離(か)るる」を響かせる読み方もある。
野辺……野原。
秋……季節の秋に、心変わりを意味する「飽き」を掛ける。
はつ……「果つ」。終わる、終わりまで行く。
白拍子……男装して今様を歌い舞った、平安末期の女性芸能者。
西八条……平清盛の京の邸宅。
刀自……年配の女性の敬称。ここでは妓王の母の名。
出典
平家物語
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