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思ひきやうき身ながらにめぐりきて
おなじ雲井の月を見むとは

歌の意味
思いもしなかった。このつらい身のまま、めぐりめぐってここへ戻り、あのときと同じ雲井の月を見ることになろうとは。
鑑賞
巻第一 二代の后

 二条天皇の強引な宣旨によって、故近衛天皇の后であった太皇太后宮多子は、二代の帝の后という前例のない立場に立たされることになった。手習いのついでに「うきふしに沈みもやらでかは竹の」の一首を書きつけた多子だったが、その心境はどこからか世に漏れ伝わり、人々は哀れでいたわしいことだと語り合ったという。
 入内の日が来ても、多子は気が進まず、なかなか車に乗ろうとしない。夜がすっかり更けて夜半になったころ、人に助けられてようやく御車に乗せられ、宮中へ入った。住まいとなったのは麗景殿である。
 宮中の様子は、近衛帝が在世していた当時と何ひとつ変わっていなかった。清涼殿の障子には、巨勢金岡が描いたという遠山の有明の月の絵がある。近衛帝がまだ幼い帝でいらしたころ、手すさびに筆先でその月を塗りつぶし、曇らせてしまったことがあった。その悪戯の跡が、当時のまま少しも変わらずそこに残っている。それを目にした多子が、亡き帝のいた昔を恋しく思って詠んだのが、この一首である。
 物語は、近衛院と大宮とのあいだの情愛を、言いようもなく哀れで優しいものだったと結んで、この章段を閉じる。

 「思ひきや」は、思っただろうか、いや思いもしなかった、という詠嘆である。上の句で驚きを言い切り、下の句でその中身を明かす構成になっている。
 「めぐりきて」には、宮中へ戻ってきたという意味と、月がめぐり時がめぐるという含みが重なる。「雲井」は宮中と空の両方を指し、「月」も障子に描かれた月と実際に空にかかる月の両方を指す。障子絵の月も空の月もあのころと同じままなのに、自分だけが憂き身のまま連れ戻された——そういう構造の歌である。
 前の「うきふしに」が入内前の抵抗の歌であるのに対し、こちらは入内後の諦念の歌にあたる。二首を並べて読むと、二代の后という運命に押し流されていく過程がそのまま見えてくる。平家物語の巻第一では、この二代后の章段だけが同一人物の二首を持つ。

思ひきや……思っただろうか、いや思いもしなかった。
うき身……つらい身の上。
めぐりきて……めぐりめぐって戻ってきて。
雲井……宮中。また、空、雲のあたり。
見むとは……見ることになろうとは。
麗景殿……内裏の殿舎の一つ。多子の住まいとなった。
清涼殿……天皇が日常を過ごした御殿。
巨勢金岡……平安時代前期の宮廷画家。
手まさぐり……手なぐさみ。手すさび。
出典
平家物語
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