古典和歌stream

ふる里の花の物言う世なりせば
いかに昔の事を問わまし

歌の意味
故郷の花が物を言う世であったなら、どんなにか昔のことを尋ねたいものを。
鑑賞
巻第三 少将都帰り

 平家物語の巻第三は、中宮徳子の御産にあたって恩赦が行われ、鬼界ヶ島の流人のうち丹波少将成経と平康頼の二人が赦されるところから始まる。赦文に俊寛の名はなく、一人島に残された俊寛が渚で足摺りをして泣き叫ぶ場面が続く。
 都へ向かう成経は、途中で父成親の最期の地に立ち寄った。有木の別所に土を盛り、柵を作り、仮屋まで立てて墓所らしい体裁を整え、七日七晩念仏し経を書く。満願の日には大きな卒都婆を立て、過去聖霊、出離生死、証大菩提と書いて、年号月日の下に孝子成経と署名した。まだ側にいたいがと、そこに人がいるかのように父の霊に暇を告げ、泣く泣く出立する。
 三月十六日、少将は鳥羽に着いた。ここには父成親の山荘、洲浜殿がある。かつて美しかった邸も今は住む人もなく荒れるにまかせ、庭は苔むして訪れる人もない。池のあたりを見まわすと、春風に小波が立ち、鴛鴦や白鴎が楽しげに飛び交っている。父がこの景色を好んだこと、この開き戸をこう出入りしていたこと、あの木は手ずから植えたものだったこと——一つ一つの思い出が浮かんできて、やるせない慕情をかきたてる。庭のそこここには、主人の留守も知らぬげに春の花が乱れ咲いていた。
 その花を見て、少将が知らずしらず口ずさんだのが、まず「桃李言はず春幾くか暮れぬる、煙霞跡無し昔誰か栖みけん」という古い漢詩であり、続けて口をついて出たのがこの一首である。同行していた康頼入道もこれを聞いて折から哀れにおぼえ、墨染の袖を濡らした。
 二人は名残惜しさに夜更けまで洲浜殿にとどまった。荒れた家のならいで、古びた軒の板間から月の光がくまなく漏れてくる。夜が明けようとしても家路は急がれなかったが、迎えの乗物を出して待っている者に心ないと、少将は泣く泣く洲浜殿を出て都へ帰った。

 「せば……まし」の反実仮想である。花が口をきく世であったなら、というありえない仮定を立て、その仮定のなかでしたいことを述べる形になっている。
 尋ねたいのは「昔の事」、つまり父がここでどう過ごしていたかである。父を直接知る者はもういない。屋敷は荒れ、人は去った。残っているのは花だけで、その花は父を見ていたはずなのに、物を言わない。問う相手がいないという状況が、仮定法の形をとって現れている。
 この歌を引き出しているのは、直前の漢詩「桃李言はず」である。桃や李は物を言わない、という句をそのまま受けて、では花が物を言う世であったなら、と続けたのだった。漢詩と和歌が主題を共有して連なっており、平家物語が漢詩文と和歌の両方を対等に用いる姿勢がよく出た箇所である。

ふる里……もと住んでいた土地。ここでは父の山荘のあった鳥羽。
物言ふ……口をきく。
世なりせば……世であったなら。
いかに……どんなにか。
問はまし……尋ねたいものを。
洲浜殿……成親の鳥羽の山荘。
桃李不言……桃や李は物を言わないが、その下には自然に道ができるという史記の句に基づく。
有木の別所……備前備中の境にあった山寺。成親の死んだ場所。
孝子……親に孝行を尽くす子。追善の署名に用いる語。
卒都婆……供養のために立てる細長い板。
出典
平家物語
その他の歌