千とせへん君がよはひに藤なみの
松のえだにもかかりぬるかな
- 歌の意味
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千年を経るであろう君の齢にあやかろうとして、藤の花房も松の枝にかかっているのだなあ。
- 鑑賞
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巻第四 還御
敷名の泊に着いた翌日は、四月一日である。「今日は卯月一日、衣がへという事があるぞ」と言って、一同それぞれ都の方を思いやりながら管弦を楽しんでいた。
そのとき、岸に色の深い藤が松に咲きかかっているのが目に入る。上皇はこれをご覧になって隆季大納言を召し、「あの花を折りに人を遣わせ」と仰せになった。ちょうど左史生中原康定が小舟に乗って御前を漕ぎ通ったのを召して、折りに遣わす。康定は藤の花を手折ると、松の枝につけたまま持って参った。上皇は「心ばせあり」——気が利いている——などと仰せられて感心された。
そこで「この花で歌があるべし」と仰せになり、隆季大納言が応じたのがこの一首である。この後、一行は備前の児島、播磨の山田の浦を経て福原に入り、四月八日に都へ帰った。
藤は下へ垂れる花であり、松は千年の齢の象徴である。その藤が松の枝にかかっているのを、上皇の長寿にあやかろうとしている姿と見立てた。賀の歌の型どおりの作りだが、目の前にある景色をそのまま使っているところに、即興の歌のよさがある。
もう一段の含みがある。詠み手は藤原氏の隆季であり、「藤なみ」を詠むのだから、藤の花は臣下である自分たち藤原の一族でもある。松すなわち君に、藤すなわち臣がかかっている——という構図が、祝いの言葉の下に敷かれている。花を折らせたのが上皇であり、松の枝につけたまま持ってきたのが機転として賞められたことも、この読みを支える。
なお高倉上皇は、この御幸の翌年、二十一歳で崩御する。千年を祈られた齢は、実際にはあと一年に満たなかった。その死は巻第六「新院崩御」で語られる。
千とせへん……千年を経るであろう。
よはひ……齢。寿命。
藤なみ……藤の花房。風に揺れるさまを波に見立てた語。
かかりぬる……かかっている。「あやかる」の意を響かせる。
卯月一日……陰暦四月一日。衣更えの日。
左史生……文書の起草や書写にあたる下級の役人。
心ばせ……心づかい。気の利いたはからい。
隆季大納言……藤原隆季。四条家の祖。
- 出典
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平家物語
- その他の歌
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