伊勢武者はみなひをどしの鎧着て
宇治の網代にかかりぬるかな
- 歌の意味
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伊勢武者はみな緋縅の鎧を着て、宇治の網代にかかってしまったことだ。
- 鑑賞
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巻第四 宮の御最後
高倉宮以仁王は三井寺を出て南都へ落ちようとし、宇治橋の橋板を外して平等院に入られた。都では「すわ、高倉宮が南都へ落ちられるぞ、追いかけて討ち奉れ」と、知盛、重衡、行盛、忠度らを大将軍とし、忠清、景家以下を侍大将として、二万八千余騎が木幡山を越えて宇治橋の爪に押し寄せた。
敵が平等院にいると見て、三度の鬨の声を上げる。宮の御方も同じく鬨を合わせた。そのとき先陣が「橋を引いたぞ、あやまちすな。橋を引いたぞ、あやまちすな」と叫んだが、後陣はこれを聞きつけず、我先にと進んだために、先陣二百余騎が押し落とされ、水に溺れて失せてしまった。
溺れ死んだ者の多くが、平家譜代の伊勢の武士であった。それを嘲って、この落書がされたのである。
この後、足利又太郎忠綱が宇治川を馬筏で押し渡り、平等院での合戦となる。頼政の一族は次々に討たれ、頼政は自害する。以仁王も光明山の鳥居の前で討たれた。南都の大衆七千余人が迎えに参っていたが、あと五十町というところで間に合わなかった。
一首が掛詞だけで組み上がっている。「ひをどし」は緋縅、すなわち赤い糸や革で縅した鎧であると同時に、「氷魚」を掛ける。氷魚は鮎の稚魚で、宇治川の冬の名物である。そして「網代」は、その氷魚を捕るために宇治川に仕掛けられる漁具にほかならない。
赤い鎧を着た武者が川に落ちて流されるという光景が、網代にかかった氷魚の群れに見立てられている。緋縅の赤も、氷魚の色に通う。宇治という土地の名物を、鎧の名称とともに使い切った作りで、落書としてはかなり技巧的である。
注意したいのは、この一首が置かれる位置である。二百余騎が溺死した直後に、その死をそのまま魚に喩えて笑う歌が来る。平家物語は合戦の悲惨を嘲笑と並べて記すことがあるが、これはその代表例で、笑いが死をいっそう酷薄に見せる働きをしている。
伊勢武者……伊勢を本拠とする平家譜代の武士。
ひをどし……緋縅。赤い糸や革で縅した鎧。「氷魚」を掛ける。
氷魚……鮎の稚魚。宇治川の冬の名物。
網代……川に仕掛けて氷魚を捕る漁具。
かかる……網代にかかる。
宇治橋……宇治川に架かる橋。ここでは橋板が外されていた。
平等院……宇治にある寺。以仁王と頼政が立てこもった。
鬨……合戦の始めに全軍で上げる声。
落書……匿名で書き捨てる風刺の文書。
- 出典
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平家物語
- その他の歌
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