百年を四かえりまでに過ぎ来にし
おたぎの里の荒れや果てなん
- 歌の意味
-
百年を四度めぐるまで過ぎてきた、この愛宕の里も、荒れ果ててしまうのだろうか。
- 鑑賞
-
巻第五 都うつり
治承四年六月、入道相国清盛は突如として福原への遷都を強行した。都遷りがあるという噂はあったが、まさか今日明日のこととは誰も思っていなかったので、これはどうしたことだと上下ともに騒ぎ合った。しかも三日と定められていた日程がさらに一日早まって二日になる。二日の卯の刻にはすでに行幸の御輿が寄せられ、安徳天皇は今年三歳、まだ幼くていらしたので、わけもわからぬまま御輿にお乗りになった。中宮徳子、後白河法皇、高倉上皇も福原へ移られ、摂政殿をはじめ太政大臣以下の公卿殿上人も、我も我もと供をした。
平安京は、平家の先祖である桓武天皇が「平らかに安き都」と定めた地である。神武天皇以来、都遷りは四十度近く行われたが、この都は四百年近く動かなかった。それを一臣下にすぎない清盛が強引に遷したのだから、恐ろしいことだと人々は語り合った。
旧都は日を追って荒れていく。軒を連ねていた家々は傾き、たまに訪れる人は勝手が違って道に迷い、途方に暮れるありさまだった。新都に住居を建てるため、壊せる家は壊して材木にし、筏に組んで賀茂川桂川に浮かべて運ぶ。家財を運び出した後の家は叩き壊して川へ捨てた。花の都は、荒れた田舎になった。
その旧都の内裏の柱に、これを惜しむ歌が二首書きつけられていた。その一首目が、これである。
「四かへり」は百年が四度めぐること、すなわち四百年である。延暦十三年の平安遷都から治承四年まで、実際には三百八十六年が経っている。
数を先に置いたところが効いている。四百年という時間の重みを上の句で積み上げておいて、下の句でそれが一挙に崩れるかと問う。「荒れや果てなん」の「や」は疑問の助詞だが、答えはすでに目の前にある。問いの形をとった嘆きである。
柱に書きつけるという形式は、平家物語がくり返し用いるものである。巻第一で妓王が障子に、巻第二で名も知れぬ僧が僧坊の柱に、巻第四で公顕僧正が拝殿の柱に書いた。ここでは内裏の柱であり、書いた者の名はやはり伝わらない。柱に残された歌が、その建物の終わりを告げるという形が、ここでも守られている。
百年……ももとせ。百年。
四かへり……四度めぐること。
過ぎ来にし……過ぎてきた。
おたぎの里……愛宕の里。平安京を指す。京は愛宕郡に属した。
荒れや果てなん……荒れ果ててしまうのだろうか。
都遷り……都を他の地へ移すこと。
福原……現在の神戸市兵庫区あたり。
卯の刻……午前六時ごろ。
筏……木材を並べて組み、水に浮かべて運ぶもの。
- 出典
-
平家物語
- その他の歌
-