東路の草葉をわけん袖よりも
たたぬ袂の露ぞこぼるる
- 歌の意味
-
東国の草葉を分けて行くあなたの袖よりも、旅立たない私の袂のほうが、露がこぼれ落ちることだ。
- 鑑賞
-
巻第五 富士川
源頼朝挙兵の報が届き、平家は頼朝が軍勢を集めきる前に討とうとして、大将軍に維盛、副将軍に忠度を立て、三万余騎を東国へ差し向けた。
薩摩守忠度は、かねてある宮腹の女房のもとへ通っていた。あるとき訪ねたところ、その女房のもとへ身分の高い女房が客として来ていて、長々と話しこんでいる。夜が更けても客は帰らない。忠度は軒端でしばらく待っていたが、じれて扇を荒く使った。すると宮腹の女房が「野もせにすだく虫の音よ」と優しく口ずさむ。忠度はすぐに扇を使いやめて帰った。
後日また訪れたとき、「いつぞやは、なぜ扇を使いやめたのですか」と問われて、忠度は「かしがましなどと聞こえましたので、それで使いやめました」と答えた。これは「かしがまし野もせにすだく虫の声や、我だに物は言はでこそ思へ」という古歌を踏まえたやりとりで、女房は客には虫の音がうるさいと言い、忠度には言葉に出さずに思っていると伝えていたのである。
その女房が、忠度の出陣を聞いて小袖一重ねを贈るとき、千里の別れの悲しさに一首の歌を書き添えて送った。それがこれである。
東国の草を分けて進む袖は、草の露に濡れる。これは実際の露である。それに対して、旅立たない自分の袂に落ちるのは涙の露である。露という一語が、道中の草露と、留守を守る者の涙とを結んでいる。
「わけん袖」と「たたぬ袂」が対になっている。動く者と動かない者、外へ出る者と残る者。そして濡れているのはむしろ残るほうだ、と言う。旅立つ者を気づかう形をとりながら、実際には自分の悲しみの深さを述べている。
この贈答は、巻第七「忠度都落」で忠度が藤原俊成に歌巻を託す場面へつながっていく。忠度は平家一門のなかで最も歌に生きた人であり、その歌がはじめて物語に現れるのが、女房から贈られたこの一首を受けての返歌という形になっている。
東路……東国へ向かう道。東海道。
草葉をわけん……草を分けて進むであろう。
たたぬ……旅立たない。
袂……袖。
露……草の露と涙を重ねる。
宮腹……皇族を母に持つこと。
小袖……袖口の小さい着物。
千里の名残……遠く隔たっていく別れ。
野もせ……野原いっぱいに。
- 出典
-
平家物語
- その他の歌
-