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一声はおもい出て啼けほととぎす
おいその森の夜半の昔を

歌の意味
せめて一声は、思い出して鳴いてくれ、ほととぎすよ。老蘇の森の、あの夜半の昔を。
鑑賞
巻第八 山門御幸

 平家の都落ちののち、後白河法皇は新しい帝を立てることになった。高倉院の皇子は多い。父の信隆は、娘がはからずも皇子を多く産んだにもかかわらず、平家や中宮に遠慮して皇子を大切には扱わなかった。これを聞き伝えた清盛の奥方の二位殿が、構うことはない、私がお育てして皇太子にしてさし上げましょうと言って、乳母までつけて大切に育てた宮があった。それが四の宮である。
 この四の宮は、二位殿の兄である法勝寺執行能円法印の養君となっていた。ところが平家の都落ちで法印は西国へ落ち、妻とこの宮を都に残していってしまう。しばらくして法印の使いが来て、四の宮をお連れ申し上げて共にわが許に参れという。妻はひどく喜び、急いで支度を終えると宮を連れて邸を出て、西の七条まで来た。そこを、妻の兄である紀伊守範光が懸命に引き止めたのである。そなたは気でも狂ったのか、こんな気狂いじみたことをされてはいかぬ、この宮のご運は今にも開け給うというのに、何ということをされる——と。
 その翌日、法皇からお召しの使いが四の宮のところに来た。およそ物事には定められた成行きということがあるが、この宮の運命を守った功績の人といえば、紀伊守範光を挙げることができよう。とはいえ四の宮は範光の忠義を心にとどめておられないのか、何の沙汰もなく空しく月日がたってしまった。
 あるとき範光は、もしやと思って歌二首を詠み、宮中に落書した。その一首目がこれである。

 「老蘇の森」は近江の歌枕で、「おいそ」の音に「老い」が響く。ほととぎすは一声鳴いて過ぎてゆく鳥であり、その一声に思い出を託すのは、古くからある歌の型である。
 範光が求めているのは恩賞ではなく、思い出してもらうことである。「思ひ出でて啼け」とほととぎすに呼びかける形をとりながら、実際に呼びかけている相手は宮にほかならない。西の七条であなたを引き止めた、あの夜のことを——と。
 落書という形式がここでは効いている。名を明かさずに宮中へ投げ込む。巻第四の南都牒状、巻第五の富士川の落書はいずれも嘲りだったが、この一首は訴えである。落書が権威を刺すだけの手段ではないことを示す例になっている。
 四の宮はこれをお聞きになり、知らなかったのは我が身の愚かさゆえと言って範光を召し、ただちに正三位に任じられた。

一声……ひとこえ。
ほととぎす……夏に一声鳴いて過ぎる鳥。忍音を鳴くとされた。
おいその森……近江の歌枕、老蘇の森。「老い」を掛ける。
夜半……よわ。夜中。
昔……過ぎ去った日。
四の宮……高倉院の第四皇子。のちの後鳥羽天皇。
法勝寺執行能円……二位殿の兄。四の宮の養父。
養君……養育を託された主君の子。
落書……匿名で書き捨てる文書。
正三位……公卿の位。
出典
平家物語
その他の歌