さりともと思う心も虫の音も
弱り果てぬる秋のくれかな
- 歌の意味
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そうはいってもまだ望みはあると思う心も、虫の声も、すっかり弱り果ててしまった秋の暮れであることよ。
- 鑑賞
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巻第八 緒環
宇佐神宮の宝殿から「世の中の憂さには神もなきものを」という声を聞いた宗盛は、はっと目覚めて姿勢を正した。声は一度きりである。胸騒ぎがおさまらず、不吉な影が身うちをよぎった。お告げの意味を考えて、たちまち暗然とした表情になる。この世のありさまには神の力も及ばぬ、というのである。
そのとき宗盛が心細げに口ずさんだのが、この一首であった。本文は「といふ古歌を心細げにぞ口ずさみ給ひける」と記しており、宗盛の詠作ではなく、古歌の引用である。
宗盛はこの夢のお告げを誰にも漏らさなかった。やがて参籠がつつがなく終わり、喜ぶ一行と共に太宰府へ向かう宗盛の顔には、寥々たる微笑みがたたえられていた。
「さりとも」は、そうはいってもまだ、という気持を表す語である。負けが込んでも、まだ望みはある——一門を率いる者が手放せずにいたのは、その一語だった。
その「さりとも」と思う心を、虫の音と並べる。秋が深まれば虫は鳴かなくなる。同じように、望みも尽きようとしている。心という形のないものを、季節に応じて確実に細っていく虫の声に並べたところが、この歌の作りである。
既成の歌をそのまま口にしたことに意味がある。神から祈りは無駄だと告げられた直後に、自分の言葉ではなく、誰かが昔詠んだ歌が口をついて出た。巻第六「葵前」で高倉天皇が古歌に想いを託したのと同じで、言うべき言葉を自分では持てないときに古歌が現れる。ただしあちらは恋を伝えるためであり、こちらは絶望を確かめるためである。
宗盛は平家物語のなかで、しばしば凡庸な人物として描かれる。名馬をめぐって仲綱を辱め、頼政父子の挙兵を招いた巻第四の一件がその典型である。その宗盛が、一門の運命を告げられた場面で、自作ではなく古歌を口ずさむ。歌を詠む力を与えられていないことが、この人物の造形になっている。
さりとも……そうはいってもまだ。
思ふ心……そう思う気持。
虫の音……秋の虫の鳴き声。
弱り果てぬる……すっかり弱ってしまった。
秋のくれ……秋の終わり。晩秋。
古歌……昔の人が詠んだ歌。
参籠……社寺にこもって祈願すること。
前内大臣……宗盛の官名。都落ちの時点で内大臣を辞していた。
- 出典
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平家物語
- その他の歌
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