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月を見し去年の今宵の友のみや
都に我を思い出ずらん

歌の意味
共に月を見た去年の今宵の友だけが、都で私を思い出してくれているだろうか。
鑑賞
巻第八 緒環

 九月も十日を過ぎた。配所に月を見る思いの平家一族には、秋風が身にしみる。荻の葉をそよがせて吹く夕べの風に、ひとり旅寝の床もわびしく、片敷く袖も濡れがちである。いずこも同じとはいうが、流浪するにも似た旅の空の淋しさは、誰の胸にもひしひしと迫った。
 九月十三夜の月は、この太宰府の秋の夜空にも皓々と冴えている。しかし仰ぐ人の心に湧くのは、京で楽しく月を賞でた夜の思いである。空を仰ぐ目がいつしか涙に曇れば、月もおぼろで定かでない。人々は月明の夜に己が感懐を託して歌を詠んだが、いま心を慰めるのは、この夜の月ではなく華やかな過去であった。人々の歌には、押さえ切れぬ昔への懐慕がある。
 その最初に置かれるのが、薩摩守忠度のこの一首である。

 九月十三夜は、八月十五夜と並ぶ名月の夜である。年に一度と決まっているから、去年の同じ夜が正確に思い出せる。「去年の今宵」という言い方が成り立つのは、そういう暦の上の一致があるからである。
 去年は都で、友と共に月を見た。今年は西国で一人で見ている。同じ月を、同じ日に、違う場所で見ているのだから、向こうも自分を思い出しているのではないか——月を媒介にして、離れた者の心を確かめようとする型の歌である。
 ただし「友のみや」の「のみ」が効いている。他の誰でもない、あの夜の友だけが、という限定である。都には多くの人がいるが、そのほとんどはもう平家を思い出さない。菊池も、九州の武士たちも背いた。忘れられていくことを知っている者の限定である。
 忠度は巻第七「忠度都落」で俊成に歌の巻物を託した人であり、巻第九「忠度最期」で討たれる。一門のなかで最も歌に生きた人の歌が、この三首の最初に置かれている。

月を見し……一緒に月を見た。
去年の今宵……去年の同じ夜。九月十三夜。
友のみや……友だけが。
思ひ出づらん……思い出しているだろうか。
九月十三夜……八月十五夜と並ぶ名月の夜。後の月とも。
配所……流された先の土地。
荻……水辺に生える背の高い草。秋風の景物。
片敷く袖……自分の袖だけを敷いて独り寝すること。
薩摩守忠度……平忠度。清盛の弟。歌人として名高い。
出典
平家物語
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