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今日までもあればあるかのわが身かは
夢の中にも夢を見るかな

歌の意味
今日まで生きてはいても、あるかないかもわからないような我が身であるのに。夢の中で、さらに夢を見ているようなことだ。
鑑賞
巻第九 三草勢揃え

 寿永三年正月二十九日、範頼と義経は院の御所へ参上し、平家追討のため西国へ出発する旨を奏上した。院は、神代から伝わるわが国の三種の神器をつつがなく都へ取り戻すようにと仰せられた。
 二月四日、福原では平家が故清盛入道の命日として仏事を行った。戦乱に明け暮れる毎日に月日の過ぎるのも忘れていたが、年も明け、春が訪れていたのである。世が世ならどんな寺や塔ででも仏の供養ができたのに、今はただ公達が集まって嘆き悲しむばかりであった。
 福原ではこの清盛の供養とともに人々の任官が行われ、僧俗の別なく皆に官位が与えられた。中でも、中納言教盛を正二位の大納言にするということを宗盛が発表すると、教盛はこの一首を返して、その官位を辞退したのである。
 主上は京を出ておられるが、三種の神器を携えて天位についておられるのだから、叙位任官が行われても何ら不都合はなかった。一方、京にいる人々は、平家がすでに福原まで攻めのぼって来ていることを聞いて勇み立つ者も多かった。

 「あればあるかの」は、あってもあるかないかわからない、という言い方である。生きてはいるが、生きているうちに入らない。
 「夢の中にも夢を見る」は、そのような身の上で官位を受けるという事態を指している。すでに現実のほうが夢のようになっているところへ、さらに大納言への昇進という夢が重なる。二重の非現実として突き放した。
 辞退の返事としては、これ以上のものはない。断りの理由を一言も述べず、ただ身の上を述べるだけで、受けられないことが伝わる。教盛は巻第七の都落ちで「はかなしな主は雲井に別るれば」と詠んだ人である。あのときも「はかなし」から始めていた。
 福原で行われた叙位任官は、都を追われた者たちが自分たちの朝廷の形をなお保とうとする行為だった。教盛の一首は、その形がすでに空虚であることを、内側から言い当てている。

あればあるかの……あってもあるかないかわからないような。
わが身かは……我が身であろうか、いやそうではない。
夢の中にも夢を見る……夢の中でさらに夢を見る。二重に非現実であること。
平中納言教盛……平教盛。清盛の弟。門脇中納言とも。
正二位……公卿の位。
三種の神器……八咫鏡、八尺瓊勾玉、草薙剣。
叙位任官……位を授け、官に任じること。
公達……貴族の子弟。
入道相国……平清盛。
出典
平家物語
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