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行き暮れて木の下陰を宿とせば
花や今宵の主ならまし

歌の意味
日が暮れて行き着けず、木の下陰を宿とするならば、花が今宵の主人ということになるだろうか。
鑑賞
巻第九 忠度の最後

 一の谷の合戦で平家は敗れ、薩摩守忠度も西へ落ちていった。武蔵国の住人、岡部六弥太忠純が追いつき、敵に後ろをお見せになるとは何たる卑怯と声をかける。忠度はちらりと振り向いて、わしは味方じゃよ、お間違いなさるなと答えたが、その途端、黒々と鉄漿をつけた歯がのぞいた。源氏には鉄漿をつけた人はおりませぬぞ、いざ——六弥太は駒を駆け並べると、むんずと組みついた。
 忠度の周りにいた百騎ばかりの兵は、それを見ると助けようともせず、わあっと声をあげて四方へ逃げ散った。彼らは一時集めの烏合の衆で、闘う気持を持っていなかったのである。
 忠度は熊野育ちの名うての大力の上に、身のこなしの軽い早業の持主であったから、素早く六弥太を引っつかむと、味方だといわせておけばよいものを、余計なことを申すやつめ、と言って馬の上で二太刀、馬から落してさらに一太刀突いた。しかし二の太刀は鎧の上からは通らず、三の太刀も浅手であったから、首をかこうとしたところへ、遅ればせに駆けつけた六弥太の郎党が切ってかかってきた。不意をうたれた忠度は右の腕を肩のつけ根から切り落される。今はこれまでと観念したのか、最後の十念を唱えるゆえそこを退け、と言い、残った左手で六弥太を投げとばすと、西の方に向かって高らかに、光明遍照十方世界、念仏衆生摂取不捨、と唱えた。唱え終わらぬうちに六弥太の刀がとび、首はころりと前に落ちた。
 よほど名のある大将軍に違いないが、一体誰だろうと、箙に結びつけられていた紙をほどいてみると、「旅宿花」という題で一首の歌が書き連ねてあった。それがこれである。忠度と書かれた名前から、薩摩守であることがわかったのだった。

 題は「旅宿の花」、すなわち旅先の宿に咲く花である。日が暮れて宿を求めることができず、木の下で夜を明かすことになったなら、その桜こそが今宵の主人だろう——という、旅と花を組み合わせた題詠にほかならない。
 詠まれた時点では平穏な歌である。ところがそれが箙に結ばれ、討たれた者の身元を明かす紙として読まれた瞬間、意味が反転する。行き暮れたのは西国を逃げてきた忠度自身であり、木の下陰が実際に最期の場所になった。歌が状況によって意味を変えるという、巻第七「忠度都落」の「さざ浪や」と同じことが、この人には二度起きている。
 巻第五「富士川」で「別れ路を何かなげかん越えてゆく関もむかしの跡と思へば」と詠んだのが、物語における忠度の最初の歌だった。先祖の跡をたどるという自負から始まり、宿を持たずに花を主と呼ぶところで終わる。物語は、死ぬまで歌を忘れなかったのはいかにも忠度らしいと評し、六弥太が名乗りをあげると、味方も敵も、武芸にも歌道にもひときわ優れた名将を惜しんで涙を流した。

行き暮れて……日が暮れて行き着けなくなって。
木の下陰……木の下の陰。
宿とせば……宿とするならば。
主……あるじ。宿の主人。
ならまし……であろうか。
旅宿花……旅の宿の花。歌の題。
箙……矢を入れて背負う武具。
鉄漿……歯を黒く染めること。公家の習慣。
十念……南無阿弥陀仏を十回唱えること。
岡部六弥太忠純……武蔵国の武士。
出典
平家物語
その他の歌