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いずくとも知らぬ逢瀬の藻塩草
かきおく跡を形見ともみよ

歌の意味
どこで逢えるとも知れない、その逢瀬を待ちながら書き置くこの跡を、形見と思って見てくれ。
鑑賞
巻第十 首渡し

 寿永三年二月七日、摂津国一の谷で討たれた平氏の首が、十二日に都へ入った。平家に縁のある人々は、自分の身にどんな憂き目が降りかかるかと嘆き悲しみ合った。維盛の北の方も、獄門にかけられた首のなかに夫がいるのではないかと、生きた心地もない有様であった。
 この肉親の心が、遠く海を隔てた維盛に伝わらぬはずはない。屋島で病後をいたわっていた維盛もまた、妻や子の上に思いをはせていた。奥も和子たちもどんなに心配しておることであろう、たとえ首のなかにはなくとも、そうなればまた溺れ死したとか矢に当って死んだとか取越苦労をするものだ、あるいはもうこの世には生きてはいまいと思っているかも知れぬ、辛うじて生き長らえていることだけは知らせてやりたい——そう言って、使いの者を一人仕立て、京の奥方のもとへそれぞれに三つの手紙を書いて渡した。
 敵の中に、か弱い女の身で和子二人を抱え、どんなに苦労されているかと思えば、心はたちまち京の空に舞い戻る心地がする。そなたたち三人をここへ迎えて親子四人が寄り合って暮したいのは山々だが、この地とても永久に安穏というわけでなし、わが身一人の辛さならばどんなことでも我慢するものを、そなたたち三人をこの憂目に合わすのは何としても心苦しく、ついに思い止まった——尽きぬ恋しさと慕情をこめて書かれたこの手紙の最後に、一首の歌がしるしてあった。それがこれである。
 子供たちには別に、毎日どうやって暮しておるかとそればかり案じている、急いで父の傍に迎えるつもりゆえ、その日を楽しみに母上を大切にして待っていてくれることのみ念じている、と書かれてあった。

 「藻塩草」は塩を焼くために採る海藻で、歌では「書き」を導く縁語として使われる。手紙そのものを藻塩草に見立てたわけである。屋島の浜にいる者が、海辺の景物で自分の手紙を呼んだ。
 「逢瀬」の「瀬」も水の縁語で、藻塩草、逢瀬、かき——「掻き」と「書き」——と、海辺の言葉だけで一首が組まれている。
 眼目は「形見ともみよ」である。形見とは死んだ者が残す物をいう。生きている者が自分の手紙を形見と呼ぶのは、もう戻れないと決めているからにほかならない。子供たちへの手紙には迎えに行くと書きながら、妻への歌では形見と書いた。書き分けられている。
 維盛はこの後、屋島を抜け出して高野で出家し、熊野を巡って那智の沖で入水する。この一首は、その決意が最初に言葉の形をとった場所である。

いづくとも知らぬ……どこでとも知れない。
逢瀬……逢う機会。「瀬」は水の縁語。
藻塩草……塩を焼くために採る海藻。「書き」を導く。
かきおく……書き置く。「掻き」を掛ける。
跡……筆跡。
形見……後に残る記念の品。死者の遺品をいう。
小松三位中将維盛……平重盛の子。清盛の孫。
屋島……讃岐国。平家の拠点。
獄門……罪人の首をさらすこと。
和子……子息への敬称。
出典
平家物語
その他の歌