涙川憂き名を流す身なりとも
今ひとたびの逢うせともがな
- 歌の意味
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涙川に憂き名を流す身であっても、もう一度だけ、逢う機会がほしいものだ。
- 鑑賞
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巻第十 内裏の女房
一の谷で生捕りにされた本三位中将重衡は、都へ護送され、大路を引き廻された。やがて八条堀川の宿所に置かれる。
重衡には、かねて心を通わせていた内裏の女房があった。忘れがたく、警護の武士のなかの一人、木工右馬允知時を頼んで手紙を届けさせる。
知時が夜になって人目につかなくなってから局の裏口にひそんでいると、訪ねる当の主の声が何か言っているのが聞こえた。耳を澄ますと、いくらもある人の中から選りに選って三位中将だけが生捕りになって大路を引き廻されるとは余りにもむごい、人はみな奈良を焼いた祟りだというけれど、実際に手を下して焼いたわけでもなく、心にまかせぬままにされたことなのに、罪だけ着せられてお気の毒な——そう言いながら泣いている様子である。知時も思わず目頭が熱くなった。
一寸お伺い申しますと声を掛けると、中から同じ女の声で、何御用ですと返る。三位中将からのお文を預って参りましたと声を落して告げると、転がるように飛んで出てきた。普段は人と逢うのさえ恥ずかしがる人なのに、そのときは夢中であったらしい。どこに、どこにお文がありますのかと言って手ずから開き、むさぼるように読みふけった。西国で捕われの身になって以来の様子や、暗雲に閉ざされた行末のことなどが細々としたためられ、最後にこの一首が記されてあった。
「涙川」は涙を川に見立てた語で、「流す」を導く。「憂き名を流す」は悪い評判を世に広めることである。「逢ふ瀬」の「瀬」も川の縁語で、涙川、流す、瀬と、一つの水の景で組み立てられている。
巻第一「二代の后」で多子が詠んだ「うきふしに沈みもやらでかは竹の世にためしなき名をや流さん」と、「憂き名を流す」の語が重なる。あちらは前例のない立場に置かれた女性の嘆きであり、こちらは南都を焼いた罪を負う男の言葉になっている。同じ語が、恥辱の質を変えて現れる。
そして「今ひとたび」——一度きりでよい、という限定が、この歌のすべてである。生き延びることも赦されることも求めていない。求めているのは一度の逢瀬だけで、その控えめさが、かえって事態の絶望を示している。
涙川……涙を川に見立てた語。
憂き名……悪い評判。不名誉な噂。
流す……「涙川」の縁語。
今ひとたび……もう一度だけ。
逢ふ瀬……逢う機会。「瀬」は川の縁語。
もがな……あってほしい。願望を表す。
本三位中将重衡……平重衡。清盛の五男。巻第五で南都を焼いた。
木工右馬允知時……重衡に縁のあった武士。
局……宮中で女房に与えられた部屋。
八条堀川……重衡が置かれた宿所。
- 出典
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平家物語
- その他の歌
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