都をば今日をかぎりのせき水に
又逢坂のかげやうつさん
- 歌の意味
-
都を今日限りと思って離れ、この関の水に、再び逢坂で我が姿を映すことがあるだろうか。
- 鑑賞
-
巻第十一 腰越
副将被斬の惨劇の後である。宗盛の幼い次男は乳母の懐から引きずり出されて斬られ、五、六日して、その乳母と側付きの女房が、首となきがらをそれぞれ抱いて桂川に身を投げた。
義経が宗盛親子を連れて鎌倉へ旅立ったのは、元暦二年五月七日のことである。途中、次第に遠ざかる都の景色に離れ難い思いを味わいながら、逢坂の関まで来た。そこで宗盛が涙ながらに詠んだのが、この一首である。
道中のつれづれに、義経は細かいところに気を配って宗盛を慰めた。宗盛は、どうか命だけは助けて頂きたいと何度も何度も念を押す。義経は、もちろんでございます、遠国、流島は仕方ございませぬとしても、よもやお命まで取り上げることもありますまい、たとえそのようなことがあってもこの義経、今度の勲功に代えても命乞いいたしましょう、と答えた。
「逢坂」に「逢ふ」を掛けるのは、古来からの型である。関の水に姿を映しながら、また逢坂で映すことがあるだろうかと問う。
「せき水」の「せき」は関であると同時に、涙を堰きとめる意も響いている。堰きとめられない涙が水に落ち、そこに自分の顔が映っている。
問いの形をとってはいるが、答えは知れている。宗盛はこの後、鎌倉で頼朝と対面し、その卑屈さを人々に憐れまれ、都へ送り返される途中の近江で斬られる。逢坂を再び越えることは越えたが、生きて都へ帰ることはなかった。
平家一門の歌のなかで、宗盛が詠むのはこの一首だけである。巻第四で仲綱の名馬を奪い、「仲綱」と名づけて焼印を押させ、頼政父子の挙兵を招いたのがこの人であった。歌の通じない人物として描かれてきた男が、滅亡の後にただ一首だけ詠む。物語はその一首を、逢坂の関に置いた。
都をば……都を。
今日をかぎり……今日を最後として。
せき水……関の水。「堰き」を響かせる。
又……再び。
逢坂……山城と近江の境の関。「逢ふ」を掛ける。
かげ……姿。影。
うつさん……映すだろうか。
前内大臣宗盛……平清盛の三男。一門の総帥。
元暦二年……一一八五年。
副将……宗盛の幼い次男。
- 出典
-
平家物語
- その他の歌
-