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帰りこんことはかた田に引く網の
目にもたまらぬ我が涙かな

歌の意味
帰って来ることは難い——その堅田で引く網の目に水が溜まらないように、目にも溜まらずこぼれ落ちる、私の涙であることよ。
鑑賞
巻第十二 平大納言被流

 平家が滅び、義朝の首が新しい墓所に埋められて勝長寿院が建てられたころ、鎌倉から、都に留まって幽囚の日を過していた平家一門の処分が発表された。
 平大納言時忠は能登国、讃岐中将時実は上総国、内蔵頭信基は安芸国、兵部少輔雅明は隠岐島、二位僧都全真は阿波国、法勝寺執行能円は備後国、中納言律師忠快は武蔵国と、それぞれ流罪が決まる。
 時忠は今生の別れに、建礼門院のおられる吉田を訪れた。このたび能登に流罪と決まり、今日、配所へ赴くところでござります、何としてでも都に残り、貴女様のご用などを務めさせて頂きたいと思っておりましたが、それも叶わず、これからはどのようにご不自由になろうかと、そればかり気にかかって、なかなか行く気になれません——泣く泣く申し上げる時忠に、門院も涙を押えられぬご様子で、昔なじみといえば今はもうそなた一人になってしまいましたのに、その一人が行ってしまっては心細いこと限りありませぬ、誰が訪れてくれる人がありましょうか、とこれまた嘆き悲しむのであった。
 時忠という人は、故建春門院の兄であり、高倉天皇の外戚であり、その上、清盛入道の北の方が姉であったから、この世の栄華は思いのままであった。正二位の大納言となり、検非違使別当には三度もなったが、別当時代には相当残酷なことも平気でやってのけ、強盗窃盗を捕えると右の肘から切り落して追放したので、悪別当というあだ名をもらったこともある。法皇の院宣を持って西国まで下った使者の顔に、浪方という焼印を押して帰したのもこの人であった。娘婿となった義経がいろいろとりなしてみたが、ついに流罪と決まってしまった。
 息子の侍従時家は十六歳で、幸いに流罪を免れて伯父のもとにいたが、父の出発には母とともに、尽きぬ別れを惜しんだ。一度別れれば恐らく二度と逢い見ることのできない親子、夫婦の別れである。ついこの間までは西国の波の上に不自由な暮しを続けて一門の滅亡を目のあたりに見、今日は人里離れた北の国へ旅立つ大納言の心境は、余りにも侘しいものであった。
 いつか都を離れて近江国の堅田の浦まで来たとき、大納言は泣く泣くこの一首を詠んだ。

 二重の掛詞で組み上がっている。「かた田」の「かた」に「難し」を掛け、帰ることは難い、とまず言い切る。そして堅田は琵琶湖の漁で知られる土地だから、そこから「引く網」が導かれる。
 その網の目には水が溜まらない。同じように、自分の目にも涙が溜まらず、こぼれ落ちてゆく。「たまらぬ」の一語が、網の目と自分の目の両方にかかっている。
 地名から「難し」を引き出し、その土地の生業から「網」を引き出し、網の性質から涙の止まらなさへ至る。通りかかった土地の名と、そこで見た暮らしだけを使って、帰れないことと泣いていることを同時に言い切っている。技巧としては、平家物語の和歌のなかでも密度が高い部類に入る。
 平家物語には、地名を掛詞に使った別れの歌がいくつもある。巻第四「還御」の「たちかへるなごりもありの浦なれば」、巻第十一「腰越」の「又逢坂のかげやうつさん」。前者は帰路の座興であり、後者は再会の可能性を問う歌だった。この一首は、帰ることは難いと最初に言い切ってしまい、問う余地を残していない。
 時忠は能登で死に、都へ帰ることはなかった。栄華の頂点で「平家にあらずんば人にあらず」と言い放ったとされるのもこの人である。その男が最後に詠んだのが、網の目から水がこぼれ落ちるという、何も留められない歌だった。平家一門の詠んだ歌としては、これが最後の一首にあたる。

帰りこん……帰って来る。
かた……「難し」に近江の地名「堅田」を掛ける。
堅田……近江国。琵琶湖西岸の漁村。
引く網……引き網。地引きで魚を捕る網。
目……網の目に、涙のこぼれる目を掛ける。
たまらぬ……溜まらない。またこらえられない。
平大納言時忠……清盛の妻二位殿の弟。建春門院の兄。
検非違使別当……京の警察と裁判をつかさどる長官。
悪別当……時忠のあだ名。
建礼門院……平徳子。このとき吉田に住んだ。
勝長寿院……頼朝が父義朝のために建てた寺。
出典
平家物語
その他の歌