- 歌の意味
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このごろは、いったいいつ習い覚えたのだろう、私の心が、大宮人を恋しく思うようになったのは。
- 鑑賞
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灌頂巻 女院死去
女院の長い身の上話が終ると、法皇はほっと一息つかれたあとで、玄弉三蔵は悟りを開く前に六道を見、我が国の日蔵上人は蔵王権現の力で六道を見たと言いますが、まのあたり六道をご覧になるなどはめったにできない事ですよ、と感じ入ったように眼を輝かされた。
やがていつしか、鐘の声が夕暮を告げはじめる。積もる話も多く、お名残も尽きなかったが、ようやく庵室を出られて、法皇は都へ還られるのであった。
御輿が山合いの木立の陰にかくれ去るまでお見送りしながら、女院は、日頃は忘れていた、はなやかだった昔の事が、それからそれへと憶い出されてくる。そして庵室の障子に、二首の歌を書きつけられた。その一首目がこれである。
「いつ習ひてか」は、いつ習い覚えたのだろう、という不審である。恋しく思う気持ちが、自分でも知らないうちに身についていた。
昔を懐かしむこと自体を、習い覚えた技のように扱っているところが、この一首の特徴である。出家して念仏に明け暮れる身であるから、昔を恋しがるのは本来あってはならない。それがいつのまにか身についてしまった。自分の心を、他人のもののように眺めている。
引き金は法皇の訪問である。都から人が来て、都のことを思い出させて、帰っていった。訪ねられたことによって、忘れていたはずの恋しさが戻ってきた。慰めに来た人が、かえって傷を開いていったことになる。
「大宮人」は宮中に仕えた人々である。海に沈んだ一門であり、かつての自分自身でもある。
此の頃は……このごろは。
いつ習ひてか……いつ習い覚えたのだろうか。
わが心……私の心。
大宮人……宮中に仕える人々。
恋しかるらん……恋しいのだろう。
障子……部屋を仕切る建具。
玄弉三蔵……玄奘三蔵。
日蔵上人……吉野の僧。
六道……地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上。
還御……天皇や上皇が帰ること。
- 出典
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平家物語
- その他の歌
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