身一つにあらぬばかりをおしなべて
行きめぐりてもなどか見ざらむ
- 歌の意味
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別れるのはお前ひとりの身に限ったことではないのだから、皆が同じように所を移り、めぐりめぐったとしても、どうして再びここを見ることがないだろうか。
- 鑑賞
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1 弘徽殿の壁
弘徽殿の壁に書きつけられた伊勢の御の歌「別るれどあひもをしまぬももしきを見ざらむことのなにか悲しき」を、亭子の帝がご覧になった。帝はそのかたわらに、自らの歌として人に書きつけさせた。それがこの歌である。この二首で第一段は閉じられる。
詠み手は宇多天皇。伊勢の御が仕えていた女御温子の夫であり、伊勢の御自身も寵を受けていた。
場は譲位を目前にした内裏の弘徽殿で、時は寛平九年にあたる。
壁に歌があるのを見つけたことが、そのまま詠出の直接の契機になっている。帝は自ら筆をとらず、傍らの者に書きつけさせている。
この返歌も後撰集に収められ、伊勢の御の歌との贈答として古くから知られてきた。第二段では、位を退いた帝が翌年の秋に御髪をおろし、供の者とともに山々を歩く話が語られていく。
初句二句の「身一つにあらぬばかりを」で、宮中を離れるのはお前ひとりの身に限ったことではない、と受ける。「ばかり」は限定を表し、それを打ち消す形で用いられている。三句の「おしなべて」がそれを一同に広げる。
「行きめぐりても」は、めぐりめぐった末には、という意味である。「ても」の逆接が、たとえ離ればなれになったとしても、という含みを作る。
結句の「などか見ざらむ」は反語で、どうして見られないことがあろうか、つまり見る日があるはずだ、と言う。
伊勢の御が「なにか悲しき」と問いかけたのに対し、こちらは「などか見ざらむ」と、同じ疑問の形で返している。この対応が贈答としての要である。悲しみそのものを否定するのではなく、再び見る日があるはずだと言い直して慰める形をとっている。
身一つ——自分ひとりの身。
おしなべて(副詞)——一様に。みな同じように。
行きめぐる(四段動詞)——あちこち移り歩く。めぐりめぐる。
などか〜む——どうして〜だろうか、いや〜だろう。反語を表す。
ばかり——〜だけ。限定を表す。
- 出典
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大和物語
- その他の歌
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