あらばこそはじめもはても思ほえめ
今日にも逢はで消えにしものを
- 歌の意味
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生きていてこそ、初めも終わりも思われようが、今日という日に逢うこともなく消えてしまったのだから。
- 鑑賞
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9 秋のはて
桃園の兵部卿の宮がお亡くなりになり、その御はてが九月つごもりに営まれた。としこが、宮の北の方のもとへ「おほかたの秋のはてだに悲しきに今日はいかでか君くらすらむ」を差し上げた。北の方は限りなく悲しいと思って泣いていらしたところに、この歌が贈られたので、「あらばこそはじめもはても思ほえめ今日にも逢はで消えにしものを」を返された。段はこの二首の贈答で閉じられる。
としこは右馬允藤原千兼の妻で、大和物語に繰り返し登場する女性歌人である。三段では亭子院の御賀の支度を任され、十三段ではその死が語られる。桃園の兵部卿の宮については、桃園に住まわれた兵部卿の宮という以外、地の文に記載がない。北の方はその正妻である。
場面は同じ一周忌の日、北の方のもとである。歌が届けられたとき、北の方は限りなく悲しいと思って泣いていらしたと地の文は記す。
詠出の直接の契機は、としこから届いた「おほかたの秋のはてだに悲しきに今日はいかでか君くらすらむ」である。今日という日の過ごし方を尋ねられたことに応じている。
この返歌をもって九段は閉じられる。歌のあとに地の文の評はなく、贈答二首だけで段が成り立っている。
「あらばこそ……思ほえめ」は、生きていればこそ、初めだの終わりだのと思われようが、という言い方である。「こそ」の係りが「め」で結ばれ、強い限定を作っている。
としこの歌が「秋のはて」という季節の区切りに拠って組み立てられていたのに対し、こちらは、亡くなった者にはその区切り自体が存在しないと返している。相手の歌の骨組みそのものを外す返し方である。
「消えにし」は死を直接には言わない婉曲な表現で、露や雪が消えるように失われたことを含む。
結句「ものを」は詠嘆を含む逆接で、言いさしたまま終わる。慰めの歌を受けて、慰めの前提そのものを外してみせた返歌にあたる。
あらばこそ——生きていたならばこそ。
はじめもはても——物事の初めも終わりも。
思ほゆ(下二段動詞)——自然と思われる。
消ゆ(下二段動詞)——死ぬことを婉曲にいう語。
〜ものを——〜であるのに。詠嘆を含む逆接。
こそ〜め——係り結び。強い限定を表す。
で——〜しないで。打消の接続。
- 出典
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大和物語
- その他の歌
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