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いまはわれいづちゆかまし山にても
世の憂きことはなほも絶えぬか

歌の意味
今となっては私はどこへ行けばよいのだろう。山にいても、世の中のつらいことはやはり絶えないのか。
鑑賞
27 いづちゆかまし

 戒仙という人が、法師になって山に住んでいたときのこと。洗い物をする人がいなかったので、着物を洗濯に親のもとへ送っていたところ、どういう折であったか、親が気を悪くして、親兄弟の言うことも聞かずに法師になった人は、こんな面倒なことを言ってくるのか、と言ってきた。そこで戒仙が詠んで送ったのがこの歌である。地の文はこれだけで、段はこの一首をもって閉じられる。
 戒仙は出家して山に住んでいた僧である。地の文には、親の反対を押し切って法師になったことが、親の言葉として示されている。続く二十八段では、その戒仙の父が兵衛の佐であったことが語られる。
 場面は、戒仙が山に住み、着物の洗濯を親のもとへ送っていた時期である。
 詠出の直接の契機は、親から届いた不機嫌な言葉である。歌はその返答として送られた。
 段はこの一首で終わり、親の反応は語られない。

 「いまはわれいづちゆかまし」で、行き場を問う形から始める。「まし」はためらいを含む意志で、どこへ行けばよいのだろう、と迷う調子を作る。
 「山にても」の「ても」が逆接で、山に入ってさえも、と続く。出家して俗世を離れたはずだという前提が、ここに置かれている。
 「世の憂きこと」は世の中のつらいこと、煩わしいことをいう。結句の「なほも絶えぬか」は、それでもやはり絶えないのか、という嘆きの問いである。
 親のもとへ洗濯を送るという、ごく日常的な用事から起きた諍いが、俗世を捨てきれない身の嘆きにまで広げられている。恨み言を親に向けず、行き場のなさとして述べている点に、この歌の言い方がある。

戒仙(かいせん)——出家して山に住んでいた僧。
法師——出家した僧。
洗ひ物——洗濯すべき衣類。
いづち——どこへ。どちらへ。
まし——〜したらよいだろうか。ためらいを含む意志
推量。
ても——〜しても。逆接を表す。
世の憂きこと——世の中のつらいこと。煩わしいこと。
なほも(副詞)——それでもやはり。
出典
大和物語
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