ことならば晴れずもあらなむ秋霧の
まぎれに見えぬ君と思はむ
- 歌の意味
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同じことなら、いっそ晴れないでいてほしい。秋霧にまぎれて見えないだけの人だと思っていよう。
- 鑑賞
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28 朝霧のなかに
その戒仙が、父であった兵衛の佐が亡くなった年の秋、家に仲間どうしが集まって、宵から酒を飲み交わしなどしていた。もういらっしゃらないことのしみじみとした悲しみを、客たちもあるじも恋しく語り合っていた。夜明けが近づいて朝ぼらけのころ、霧が立ち渡ったので、客の一人が「朝霧のなかに君ますものならば晴るるまにまにうれしからまし」と詠んだ。戒仙の返しに「ことならば晴れずもあらなむ秋霧のまぎれに見えぬ君と思はむ」とあった。客は紀貫之、紀友則などであった。以上が段の全体である。
戒仙は前の二十七段にも登場した僧で、そこでは山に住み、親と諍いを起こしている。この段ではその父が兵衛の佐であったことが記される。兵衛の佐は兵衛府の次官にあたる。客として名の挙がる紀貫之と紀友則は、いずれも古今集の撰者に名を連ねる歌人である。
場面は同じ朝ぼらけである。客の一人が詠んだのを受けて、あるじの戒仙が返している。
詠出の直接の契機は、客から詠まれた「朝霧のなかに君ますものならば晴るるまにまにうれしからまし」である。霧が晴れれば、という仮定に応じている。
この返歌をもって二十八段は閉じられる。地の文は最後に、客が紀貫之や紀友則であったことを明かして終わる。
「ことならば」は、同じことなら、どうせなら、の意である。相手の歌の仮定を受けて、それならば、と応じる形になる。
「晴れずもあらなむ」の「なむ」は他に対する願望で、晴れないでいてほしい、と願う。客が霧の晴れることに望みを託したのに対し、こちらは晴れないことを望むという、正反対の願いになっている。
「まぎれに見えぬ君」は、霧にまぎれて見えないだけの人、の意である。晴れなければ、見えないのは霧のせいだと思っていられる。晴れてしまえば、いないことが確かめられてしまう。
結句の「思はむ」は意志で、そう思っていよう、と自らに言う。相手の語をそのまま受けながら願いの向きを逆にする返し方で、二十一段や十六段の贈答と同じ型にあたる。
ことならば——同じことなら。どうせなら。
なむ——〜てほしい。他に対する願望を表す。
秋霧——秋に立つ霧。
まぎる(下二段動詞)——入り混じって見分けがつかなくなる。
見えぬ——見えない。
思はむ——そう思っていよう。意志を表す。
- 出典
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大和物語
- その他の歌
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