あはれてふ人もあるべくむさし野の
草とだにこそ生ふべかりけれ
- 歌の意味
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いとしいと言ってくれる人があるように、せめて武蔵野の草としてでも生まれてくればよかったのだ。
- 鑑賞
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32 むさし野の草
亭子の院に、右京の大夫が「あはれてふ人もあるべくむさし野の草とだにこそ生ふべかりけれ」を詠んで奉った。さらに「しぐれのみ降る山里の木のしたはをる人からやもりすぎぬらむ」とも詠んだ。しかし帝はお心にかけてくださらなかった。帝はこれをご覧になったとき、何のことだかまるで分からない、とおっしゃって僧都の君にお見せになったと聞かされ、右京の大夫は、歌を詠んだ甲斐もなかった、と語っていたという。以上が段の全体である。
右京の大夫は源宗于。光孝天皇の孫にあたり、三十六歌仙の一人に数えられる歌人である。前の三十一段では監の命婦に歌を贈っており、三十段では海松を題に歌を詠んでいる。亭子の院は宇多天皇のことで、一段と二段にも登場する。僧都は僧正に次ぐ僧の官職である。
場面は亭子の院、すなわち宇多天皇のもとである。
詠出の直接の契機は、昇進が思うようにならなかったことである。歌は帝のもとへ奉られた。
帝はこの歌を心にかけてくださらず、何のことだか分からないとおっしゃって僧都の君にお見せになった。宗于は歌を詠んだ甲斐もなかったと語ったと地の文は結ぶ。
この歌は続後撰集に収められている。
「あはれてふ人もあるべく」は、いとしいと言ってくれる人があるように、の意である。「てふ」は「といふ」の縮まった形である。
「むさし野の草」は、古今集に見える、紫草が一本あるだけで武蔵野の草はみないとしく見える、という読人しらずの歌を踏まえている。あの武蔵野の草でさえ、ゆかりのゆえに目を掛けてもらえる、という前提がここに置かれる。
「草とだにこそ」の「だに」は、せめて〜だけでも、の意で、自分は草にも及ばないと言っていることになる。「こそ」の係りが結句の「けれ」で結ばれる。
「生ふべかりけれ」は、生まれてくればよかったのだ、という悔いの言い方である。恋の歌の言葉づかいをそのまま用いて、昇進を願う訴えにしている。帝がこれを解さなかったというのが、段の結末である。
亭子の院——宇多天皇のこと。譲位後に亭子院を御所としたことによる呼び名。
奉る(四段動詞)——差し上げる。献上する。
僧都(そうづ)——僧正に次ぐ僧の官職。
あはれ——いとしい。しみじみと心を動かされること。
てふ——「といふ」の縮まった形。
むさし野——武蔵国の野。古今集の歌によって知られた歌枕。
だに——せめて〜だけでも。
こそ〜けれ——係り結び。強調を表す。
- 出典
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大和物語
- その他の歌
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