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しぐれのみ降る山里の木のしたは
をる人からやもりすぎぬらむ

歌の意味
時雨ばかりが降る山里の木の下は、そこにいる人のせいだろうか、雨が漏れ過ぎていくようだ。
鑑賞
32 むさし野の草

 亭子の院に、右京の大夫が「あはれてふ人もあるべくむさし野の草とだにこそ生ふべかりけれ」を詠んで奉った。さらに「しぐれのみ降る山里の木のしたはをる人からやもりすぎぬらむ」とも詠んだ。しかし帝はお心にかけてくださらなかった。帝はこれをご覧になったとき、何のことだかまるで分からない、とおっしゃって僧都の君にお見せになったと聞かされ、右京の大夫は、歌を詠んだ甲斐もなかった、と語っていたという。以上が段の全体である。
 右京の大夫は源宗于。光孝天皇の孫にあたり、三十六歌仙の一人に数えられる歌人である。前の三十一段では監の命婦に歌を贈っており、三十段では海松を題に歌を詠んでいる。亭子の院は宇多天皇のことで、一段と二段にも登場する。僧都は僧正に次ぐ僧の官職である。
 場面は同じく亭子の院である。前の歌に続けて奉られた二首目にあたる。
 詠出の直接の契機は、前の歌と同じく、昇進が思うようにならなかったことである。歌はさらに重ねて帝のもとへ奉られた。
 帝は二首とも心にかけてくださらなかった。何のことだか分からないとおっしゃって僧都の君にお見せになったと聞き、宗于は歌を詠んだ甲斐もなかったと語ったと地の文は結ぶ。

 「しぐれのみ降る」の「降る」に、時を「経る」の意が掛けられている。時雨ばかりが降る、と、泣きながら時を過ごす、とが重なる。
 「山里の木のした」は、木の下に身を寄せていれば雨を避けられるはずの場所である。その庇護のもとにいながら濡れる、という状況が作られている。
 「をる人からや」の「をる」に、枝を「折る」と、そこに「居る」との両方が掛かる。誰のせいで濡れるのかを問う形になる。
 結句の「もりすぎぬらむ」の「もり」に、雨が「漏り」と、選から「漏り」との意が掛かる。木の下にいながら雨が漏れてくることと、自分が昇進から漏れたまま過ぎていくこととが重ねられている。掛詞を幾重にも仕込んだ歌で、帝が意味を解さなかったという地の文の記述は、この込み入り方と無関係ではない。

しぐれ——晩秋から初冬にかけて、降ったりやんだりする雨。
降る(四段動詞)——「降る」と「経る」との掛詞。
山里——山あいの里。
をる——「折る」と「居る」との掛詞。
から——〜のせいで。原因を表す。
もる(四段動詞)——「漏る」の意。雨が漏れる、選から漏れるの両方を掛ける。
らむ——〜しているのだろうか。現在の推量。
出典
大和物語
その他の歌