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おく露のほどをも待たぬ朝顔は
見ずぞなかなかあるべかりける

歌の意味
置く露のあいださえ待たずにしぼむ朝顔は、いっそ見ないほうがよかったのだ。
鑑賞
39 朝顔

 伊勢の守源衆望の御女を源正明が妻として迎えたときに、そこに仕えていた童女を源宗于が呼び寄せて、一夜を語り明かし、翌朝に贈った歌である。地の文はこれだけで、段はこの一首をもって閉じられる。
 源宗于は光孝天皇の孫にあたり、三十六歌仙の一人に数えられる歌人である。三十段から三十二段、三十四段にも登場する。伊勢の守源衆望は伊勢国の国司の長官を務めた人、源正明はその婿にあたる。相手の童女については、その家に仕えていたという以外、地の文に記載がない。
 場面は婚礼のあった家である。時は一夜を明かした翌朝にあたる。
 詠出の直接の契機は、その一夜が明けたことである。歌は童女のもとへ贈られた。
 段はこの一首で終わり、童女の返しは語られない。この歌は新勅撰集に収められている。

 「おく露のほど」は、露が置くわずかなあいだ、の意である。露は一夜のうちに置いて朝には消えるもので、そのごく短い時間を指す。
 「待たぬ朝顔」は、その露のあいださえ待たずにしぼんでしまう朝顔、の意である。朝顔は朝に咲いて昼にはしぼむ花で、はかなさの象徴として詠まれてきた。一夜だけの逢瀬が、そのままこの花に重ねられている。
 「見ずぞなかなかあるべかりける」は、いっそ見ないほうがよかった、の意である。「なかなか」は、中途半端であるくらいならかえって、という含みを持つ語である。「ぞ」の係りが「ける」で結ばれる。
 見なければ惜しむこともなかった、という言い方で、一夜で終わることの惜しさを述べている。翌朝に贈る後朝の歌の形をとりながら、再び逢うとは言っていない。

伊勢の守(かみ)——伊勢国の国司の長官。
御女(むすめ)——他人の娘を敬っていう語。
あはす(下二段動詞)——縁組みをさせる。結婚させる。
童(わらは)——年少の召使い。ここは家に仕えていた少女。
おく(四段動詞)——露が降りて留まる。
ほど——あいだ。その時間。
朝顔——朝に咲いて昼にはしぼむ花。はかなさの象徴。
なかなか(副詞)——かえって。中途半端であるよりはむしろ。
ぞ〜ける——係り結び。強調を表す。
出典
大和物語
その他の歌