あさぼらけわが身は庭の霜ながら
なにを種にて心生ひけむ
- 歌の意味
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夜明けの、庭の霜のようなこの身でありながら、いったい何を種として恋心が生えてしまったのだろう。
- 鑑賞
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42 白雲の空
ゑしうという法師が、ある女のもとに御験者として仕えていたときに、とやかく世間で噂が立ったので、「里はいふ山にはさわぐ白雲の空にはかなき身とやなりなむ」と詠んだ。また、その女に詠んで贈るには「あさぼらけわが身は庭の霜ながらなにを種にて心生ひけむ」とあった。以上が段の全体である。
ゑしうは法師である。御験者は加持祈祷を行う僧をいう。この法師は続く四十三段と四十四段にも登場し、そこでは大徳とも呼ばれる。相手の女については、御験者として仕えていた先という以外、地の文に記載がない。
場面は同じく、噂が立ったころである。歌は仕えていた女のもとへ贈られた。
詠出の直接の契機は地の文に記されない。示されているのは、女に詠んで贈ったということだけである。
段はこの二首で閉じられる。続く四十三段では、ゑしうがその場を去って山へ入る話に移っていく。
「あさぼらけ」は夜が明けて空がほのかに明るくなるころで、霜の降りる時刻にあたる。
「わが身は庭の霜ながら」は、庭の霜のようなこの身でありながら、の意である。霜は日が差せば消えるもので、はかない自分を言うと同時に、「霜」に「下」の音が響き、人の下に控える身であることをも含む。
「なにを種にて」は、何を種として、の意である。霜の降りた地面から草が生えるはずはない、という理屈が前提にある。
結句の「心生ひけむ」は、恋心が生えてしまったのだろう、という過去の推量である。生えるはずのないところに生えたものとして、自分の恋を述べている。僧の身でありながら思いを抱いてしまったことを、種と草の理屈で言い表した一首である。
あさぼらけ——夜が明けて空がほのかに明るくなるころ。
霜(しも)——霜。「下」の音を響かせる。
ながら——〜でありながら。逆接を表す。
種(たね)——草木の種。ここでは物事の起こるもと。
生ふ(上二段動詞)——生える。
けむ——〜たのだろう。過去の推量。
- 出典
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大和物語
- その他の歌
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