なにばかり深くもあらず世のつねの
比叡を外山と見るばかりなり
- 歌の意味
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どれほど深いというわけでもない。世間で言うところの比叡山を、外の山として見るほどの所である。
- 鑑賞
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43 たつき音
そのゑしう大徳が、僧坊にしていた所の前に切掛を作らせた。そのとき、大工の出した削りくずに「まがきする飛騨のたくみのたつき音のあなかしがましなぞや世の中」と書きつけて、修行をしに深い山へ入ってしまおうと言って、そこを立ち去った。しばらくして、深い山に籠もっているというのはどこですか、と尋ねられたときに、「なにばかり深くもあらず世のつねの比叡を外山と見るばかりなり」と答えた。横川という所にいるのだった。以上が段の全体である。
ゑしうは前の四十二段にも登場した法師で、そこでは御験者として女に仕え、噂が立っている。大徳は徳の高い僧に対する敬称である。横川は比叡山にある地で、東塔
西塔と並ぶ三塔の一つを成す。
場面は、ゑしうが山へ入ったのちである。地の文はその居所を、横川という所であったと明かしている。
詠出の直接の契機は、深い山に籠もっているというのはどこか、と尋ねられたことである。
段はこの一首と、横川にいたという説明で閉じられる。前の歌で世の中の騒がしさを嘆いて立ち去った人物が、その行き先を問われて答えるという構成になっている。
「なにばかり深くもあらず」は、どれほど深いわけでもない、の意である。深い山に入ると言って出たことを、自分から打ち消す形で始まる。
「世のつねの比叡」は、世間で普通に言うところの比叡山、の意である。比叡山は修行の山として誰もが知る場所であった。
「外山と見る」の「外山」は、里に近い山、奥深くない山をいう。奥山に対する語である。あの比叡山でさえ外山に見えるほどの奥、という言い方になる。
結句の「見るばかりなり」は、そう見るほどの所だ、と抑えて結ぶ。深いと言わずに、比叡が手前に見える位置だと述べることで、かえって奥深さが示される。誇らずに答えながら、実際には相当の奥にいることを伝える一首である。
世のつね——世間で普通に言うところの。ありふれた。
比叡(ひえ)——比叡山。天台宗の総本山延暦寺がある。
外山(とやま)——里に近い山。奥深くない山。奥山に対する語。
ばかり——〜ほど。程度を表す。
横川(よかは)——比叡山にある地。三塔の一つ。
- 出典
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大和物語
- その他の歌
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