のぼりゆく山の雲居の遠ければ
日もちかくなるものにぞありける
- 歌の意味
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のぼっていく山の雲のかなたは遠いので、そのぶん日も近くなるものであった。
- 鑑賞
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44 ぬれ衣
そのゑしう法師に、ある人が、比叡山にのぼる日はいつごろかと尋ねたところ、「のぼりゆく山の雲居の遠ければ日もちかくなるものにぞありける」と答えた。また、先に述べたような、自らの身にとってよくないことが、修行の途中に重なってしまったので、「のがるとも誰か着ざらむぬれ衣あめの下にし住まむかぎりは」と詠んだ。以上が段の全体である。
ゑしうは四十二段と四十三段に続いて登場する法師である。四十二段では女に仕えて噂が立ち、四十三段では削りくずに歌を書きつけて山へ入っている。尋ねた人については、地の文に記載がない。
場面は、ゑしうが修行の途上にあった時期である。
詠出の直接の契機は、比叡山にのぼる日はいつごろかという問いである。歌はその答えとして詠まれた。
この歌のあと、同じ段には、身の上によくないことが重なったときの歌が続く。
「のぼりゆく山の雲居」は、のぼっていく山の、雲のあるあたりをいう。「雲居」は雲のある空、また雲そのものを指す語である。
「遠ければ」で、その雲居が遠いことを述べる。高く遠いところをめざしていることになる。
「日もちかくなる」の「日」に、太陽と、日取りの意とが掛かる。高くのぼれば太陽に近づくということと、のぼる日が近づくということとが、この一語で重なる。
結句の「ものにぞありける」は「ぞ」の係りが「ける」で結ばれる形で、そういうものであった、と抑えて結ぶ。いつのぼるのかという問いに、近づいてはいると答えながら、まだ着いていないことをも含ませており、はっきりした日を答えていない。
ゑしう——法師の名。
比叡(ひえ)の山——比叡山。天台宗の総本山延暦寺がある。
のぼる(四段動詞)——高い所へ行く。山に登る。
雲居(くもゐ)——雲のある空。また、雲そのもの。
日——「太陽」と「日取り」との掛詞。
ぞ〜ける——係り結び。強調を表す。
- 出典
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大和物語
- その他の歌
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