雲ならで木高き峰にゐるものは
憂き世をそむくわが身なりけり
- 歌の意味
-
雲でもないのに木の高い峰にいるものは、つらい世に背を向けたこの身なのであった。
- 鑑賞
-
50 木高き峰
かいせん法師が山にのぼったときに詠んだ歌である。地の文はこれだけで、段はこの一首をもって閉じられる。
かいせん法師は、二十七段と二十八段に登場した戒仙と同じ人物である。二十七段では山に住みながら着物の洗濯を親のもとへ送って諍いを起こし、二十八段では父の亡くなった年の秋に、家に集まった客と歌をやりとりしている。
場面は法師がのぼった山の上である。木の高い峰と歌は述べている。
詠出の直接の契機は、その山にのぼったことである。
段はこの一首で終わり、聞き手の反応も後日のことも語られない。前後の四十九段が斎院すなわち神に仕える身の歌、この段が仏に仕える身の歌という並びになっている。この歌は新拾遺集に収められている。
「雲ならで」は、雲ではなくて、の意である。高い峰にあるものといえば雲だという常識を、まず打ち消す形で始まる。
「木高き峰にゐる」の「ゐる」は、そこにとどまっている、居る、の意である。雲がかかるように、自分がそこに居ることになる。
「憂き世をそむく」は、つらいこの世に背を向ける、すなわち出家することをいう。
結句の「わが身なりけり」は、自分の身であったのだ、という気づきの言い方である。高い所にあるのは雲ではなく自分だった、という発見の形をとりながら、実際には出家した自分の位置を確かめている。峰の高さと、俗世からの隔たりとが、そのまま重ねられた一首である。
かいせん——法師の名。二十七段と二十八段に登場する戒仙と同じ人物。
木高し(こだかし)——木が高くそびえている。
ゐる(上一段動詞)——そこにとどまる。居る。
憂き世——つらいこの世。俗世。
そむく(四段動詞)——背を向ける。出家する。
ならで——〜ではなくて。
なりけり——〜であったのだなあ。気づきを表す。
- 出典
-
大和物語
- その他の歌
-