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しをりしてゆく旅なれどかりそめの
いのち知らねばかへりしもせじ

歌の意味
枝を折って道しるべにしながら行く旅ではあるが、はかない命のことは分からないので、帰ってくることもあるまい。
鑑賞
54 しをりしてゆく旅

 源宗于の三男にあたる人が、博打をして親にも兄弟にも憎まれたので、足の向くのに任せて都を出て、よその国へ行った。そのときに、親しい友のもとへ詠んで届けたのがこの歌である。地の文はこれだけで、段はこの一首をもって閉じられる。
 源宗于は光孝天皇の孫にあたり、三十六歌仙の一人に数えられる歌人で、三十段から三十二段、三十四段、三十九段に登場する。詠み手はその三男にあたる人である。届け先の友については、親しい友という以外、地の文に記載がない。
 場面は都を離れる道中である。行き先は定めず、足の向くのに任せて出たと地の文は記す。
 詠出の直接の契機は、その出立そのものである。歌は都に残る友のもとへ届けられた。
 段はこの一首で終わり、友の返しも後日のことも語られない。

 「しをり」に、枝を折って道しるべとする「枝折り」と、責め立てられる意の「しをる」とが響く。道しるべを残しながら行く旅と、責め立てられて出る旅とが重なる。
 「ゆく旅なれど」の「ど」が逆接で、道しるべを残してはいるが、と下へつなぐ。しるべを残すのは帰るためだが、その前提がここで崩される。
 「かりそめのいのち」は、はかない、頼りない命のことである。「知らねば」は、分からないので、の意で、生きて帰れるかどうか分からないと言う。
 結句の「かへりしもせじ」は、帰ることもあるまい、という打消の推量である。道しるべを折りながら、帰らないと言う。この矛盾がそのまま、行き場を失った者の心境になっている。

源宗于——光孝天皇の孫にあたる歌人。
博打(ばくち)——賭け事。
足の向きたる方——足の向くまま。行き先を定めずに。
しをり——「枝折り」と「しをる(責め立てる)」とを響かせる。
枝折り——枝を折って道しるべとすること。
かりそめ——一時的な。はかない。
ど——〜けれども。逆接を表す。
せじ——〜しないだろう。打消の推量。
出典
大和物語
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