をちこちのひと目まれなる山里に
家ゐせむとは思ひきや君
- 歌の意味
-
あちらこちらの人目もまれな山里に住まいを構えることになろうとは、あなたは思ってもみなかっただろう。
- 鑑賞
-
57 人目まれなる山里
近江の介の平中興が娘をたいそうかわいがっていたが、その親が亡くなってしまったので、何かと落ちぶれて、よその国の頼りないところに住んでいるのを哀れに思って、平兼盛が詠んで寄こしたのがこの歌である。これを読んで、女は返事もせずに声を上げて泣いた。女もたいそう情の深い人だったのである、と地の文は結ぶ。
平兼盛は三十六歌仙の一人に数えられる歌人で、前の五十六段では兵衛の君と歌をやりとりし、続く五十八段にも登場する。平中興は近江の介を務めた人で、介は国司の次官にあたる。詠まれた相手はその娘である。
場面は、娘が落ちぶれて住んでいる、よその国の山里である。父の死後、京を離れることになっている。
詠出の直接の契機は、その境遇を兼盛が哀れに思ったことである。歌はその山里へ届けられた。
歌を読んだ女は、返事もせずに声を上げて泣いた。段はその様子と、女も情の深い人であったという評で閉じられる。この歌は後撰集に収められている。
「をちこちの」は、あちらこちらの、遠く近くの、の意である。周囲一帯を見渡す言い方で、そのどこにも人影がないことを示す。
「ひと目まれなる山里」は、人の姿を見ることもまれな山里、の意である。都で大切に育てられた身との落差が、この一語に置かれる。
「家ゐせむとは」は、住まいを構えることになろうとは、の意である。「家ゐ」は住居を定めて住むことをいう。
結句の「思ひきや君」は反語で、思っただろうか、いや思わなかっただろう、と言う。相手を「君」と呼びかけて終える形になっている。同情を述べる歌でありながら、かつての境遇との落差を正面から突きつける言い方でもあり、女が返事もできずに泣いたのはそのためと読める。
近江の介(すけ)——近江国の国司の次官。
おとろふ(下二段動詞)——落ちぶれる。衰える。
はかなし——頼りない。粗末である。
をちこち——あちらこちら。遠く近く。
ひと目——人の姿。人の往来。
まれなり(形容動詞)——めったにない。
家ゐす——住居を定めて住む。
思ひきや——思っただろうか、いや思わなかった。反語を表す。
- 出典
-
大和物語
- その他の歌
-