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年を経てぬれわたりつるころも手を
今日のなみだにくちやしぬらむ

歌の意味
長年濡れ続けてきたこの袖を、今日の涙でとうとう朽ちさせてしまうのだろうか。
鑑賞
58 黒塚

 同じ平兼盛が陸奥の国にいたとき、閑院の御子の御子であった人が黒塚という所に住んでいたので、その娘たちを田舎の鬼になぞらえてからかい、「みちのくの安達が原の黒塚に鬼こもれりと聞くはまことか」と詠んだりしていた。やがて兼盛はその娘の一人を妻に迎えたいと願い出たが、親は、まだごく若いので、しかるべき時が来たら、と言うばかりであった。兼盛は都に戻らねばならなかったので、娘を井手の山吹の花になぞらえて「花ざかりすぎもやするとかはづなく井手の山吹うしろめたしも」と詠んだ。その黒塚については、名取の御湯という温泉の名を歌に詠み込んだ恒忠の君の妻があり、この人こそ黒塚のあるじにあたる人であった。その妻が「大空の雲のかよひ路見てしかなとりのみゆけばあとはかもなし」と詠んだのを兼盛が聞いて、同じように「しほがまの浦にはあまや絶えにけむなどすなどりの見ゆる時なき」と詠んだこともあった。さて、兼盛が心をかけていた娘は、結局案じたとおりになった。別の男とともに都にのぼってきたのだが、そうとは知らず兼盛が、都に来たのにどうして知らせてくれないのか、と手紙を送ると、かつて兼盛が詠んだ井手の山吹の歌を、これがお土産です、と返してよこした。ようやく振られたと悟った兼盛は「年を経てぬれわたりつるころも手を今日のなみだにくちやしぬらむ」と詠んで贈ったのだった。以上が段の全体である。
 平兼盛は三十六歌仙の一人に数えられる歌人で、五十六段では兵衛の君と、五十七段では近江の介平中興の御女と歌をやりとりしている。黒塚に住んでいたのは閑院の御子の御子であった人で、その娘たちが兼盛のからかいの相手にあたる。恒忠の君の妻については、黒塚のあるじにあたる人であったと地の文が記すのみである。
 場面は都である。兼盛が心をかけていた娘は、別の男とともに都へのぼってきていた。
 詠出の直接の契機は、そうとは知らぬ兼盛が、都に来たのに知らせてくれないのはなぜかと手紙を送ったところ、かつて自分が詠んだ井手の山吹の歌を、これがお土産です、と言って返されたことである。
 段はこの一首で閉じられる。黒塚のからかいから始まったこの段は、求婚の不首尾と、この最後の歌をもって終わる。

 「年を経てぬれわたりつる」は、長年にわたって濡れ続けてきた、の意である。「わたる」が動作の継続を示し、涙で袖が濡れる日々が長く続いたことを言う。
 「ころも手」は袖のことである。涙は袖で受けるものとされ、袖の濡れ具合で嘆きの深さを表すのが古くからの言い方である。
 「今日のなみだに」の「今日」に、都を意味する「京」の音が響く。都で振られたその日、という含みになる。
 結句の「くちやしぬらむ」は、朽ちてしまうのだろうか、という疑問である。長年濡れてきた袖が、今日の涙でとどめを刺される、という筋になる。段の初めに鬼をからかっていた人物が、最後は自分の袖の朽ちる嘆きで終わるという構成になっている。

年を経(ふ)——年月を過ごす。長年にわたる。
ぬる(下二段動詞)——濡れる。
わたる(四段動詞)——ずっと〜し続ける。動作の継続を表す。
ころも手——袖。
今日(けふ)——今日。「京」の音を響かせる。
くつ(上二段動詞)——朽ちる。腐ってだめになる。
らむ——〜しているのだろうか。現在の推量。
出典
大和物語
その他の歌