春々の花は散るとも咲きぬべし
またあひがたき人の世ぞ憂き
- 歌の意味
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春ごとに花は散っても、また咲くにちがいない。二度と逢いがたい人の世こそがつらい。
- 鑑賞
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71 風待つほどの山桜
式部卿の宮が亡くなったのは如月の終わり、桜の盛りであったので、堤の中納言が「咲きにほひ風まつほどの山ざくら人の世よりはひさしかりけり」と詠んだ。三条の右大臣の返しに「春々の花は散るとも咲きぬべしまたあひがたき人の世ぞ憂き」とあった。以上が段の全体である。
式部卿の宮は式部省の長官を務めた親王で、十七段から二十段、四十段にも登場する。堤の中納言は藤原兼輔。中納言に至り、賀茂川の堤のあたりに邸があったことによる呼び名で、三十五段、三十六段、四十五段にも登場し、三十六歌仙の一人に数えられる。三条の右大臣は藤原定方。右大臣に至り、三条に邸があったことによる呼び名で、二十九段にも登場する。六段の藤原朝忠はその子にあたる。
場面は同じく式部卿の宮の亡くなったころである。
詠出の直接の契機は、堤の中納言から届いた「咲きにほひ風まつほどの山ざくら人の世よりはひさしかりけり」である。桜と人の命とを比べた歌に応じている。
この返歌をもって七十一段は閉じられる。地の文には歌の評もなく、贈答二首だけで段が成り立っている。この歌は続古今集に収められている。
「春々の花は散るとも咲きぬべし」は、春ごとに花は散ってもまた咲くにちがいない、の意である。「とも」の仮定の逆接が、散ったとしても、と続ける。「ぬべし」は確信をもった推量である。
相手が桜と人の命の長さを比べたのに対し、こちらは長さではなく、繰り返しがあるかどうかで比べている。桜には来年があるが、人にはない、という筋になる。
「またあひがたき人の世ぞ憂き」の「あひがたき」は、二度と逢うことができない、の意である。「ぞ」の係りが「憂き」で結ばれる。
相手の歌が桜を長いものとして置いたのを、こちらは何度でも咲くものとして置き直している。同じ桜を材料にしながら、比べる軸をずらして返す型で、この作品の贈答歌に繰り返し見られる。
春々(はるはる)——春ごとに。毎年の春に。
とも——たとえ〜としても。仮定の逆接。
ぬべし——きっと〜にちがいない。確信を含む推量。
あひがたし——逢うことがむずかしい。二度と逢えない。
人の世——人の一生。人の命。
憂し——つらい。悲しい。
ぞ〜き——係り結び。強調を表す。
- 出典
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大和物語
- その他の歌
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