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池はなほむかしながらのかがみにて
影見し君がなきぞかなしき

歌の意味
池は今も昔のままの鏡であるのに、その面に姿を映していたあなたがいないのが悲しい。
鑑賞
72 昔ながらの鏡

 その式部卿の宮が生きていたころ、亭子院に住んでいた。この宮のもとに平兼盛が参上し、召されて話などをしていたのだった。宮が亡くなられてから、その院を眺めるとしみじみとした思いに囚われるので、平兼盛が詠んだのがこの歌である。地の文はこれだけで、段はこの一首をもって閉じられる。
 式部卿の宮は前の七十一段にも登場し、その死が語られている。平兼盛は三十六歌仙の一人に数えられる歌人で、五十六段では兵衛の君と、五十七段では近江の介の御女と歌をやりとりし、五十八段では陸奥での話が語られる。亭子院は譲位した後の宇多天皇の御所である。
 場面は亭子院である。宮の亡きあと、兼盛がその院を眺めている。
 詠出の直接の契機は、生前に参上して語り合ったその院を、宮の死後に眺めたことである。
 段はこの一首で終わり、聞き手の反応も後日のことも語られない。

 「池はなほむかしながらの」は、池は今も昔のままで、の意である。「なほ」が、変わらずに今も、という含みを担う。
 「かがみにて」は、鏡であって、の意である。池の水面を鏡に見立てる言い方は古くからある。宮の姿を映していた水面が、今も同じようにそこにある。
 「影見し君」の「影」は姿の意で、水面に姿を映していた宮を指す。「見し」と過去に置くことで、今はいないことが前提になる。
 結句の「なきぞかなしき」は「ぞ」の係りが「かなしき」で結ばれる形である。変わらないものと、失われたものとを並べ、変わらない側を先に置くことで、失われた側の不在が際立つ組み立てになっている。

亭子院——譲位した後の宇多天皇の御所。
参る(四段動詞)——参上する。伺候する。
召す(四段動詞)——お呼びになる。
なほ(副詞)——今もなお。変わらず。
ながら——〜のままで。
かがみ——鏡。池の水面をたとえる。
影(かげ)——姿。水面に映る姿。
ぞ〜き——係り結び。強調を表す。
出典
大和物語
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