来てみれど心もゆかずふるさとの
むかしながらの花は散れども
- 歌の意味
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来て見ても心が晴れない。この旧い所の、昔のままの花は散っているけれども。
- 鑑賞
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80 昔ながらの花
宇多院で花が咲き誇るころ、南院の君達や人々が集まって歌会などをした。そのとき、右京の大夫宗于が詠んだのがこの歌である。他の人の歌もあったようである、と地の文は結ぶ。
右京の大夫は源宗于。光孝天皇の孫にあたり、三十六歌仙の一人に数えられる歌人で、三十段から三十二段、三十四段、三十九段、六十三段に登場し、五十四段ではその三男が歌を詠んでいる。南院の君達は南院に住む一族の子弟をいい、宗于もその一人にあたる。宇多院は宇多天皇の御所である。
場面は宇多院である。花が咲き誇るころで、人々が集まって歌会を開いていた。
詠出の直接の契機は、その歌会の場である。花の盛りを題として詠まれたことになる。
段はこの一首で終わり、他の人の歌もあったようだと地の文は記すのみである。内容から、宇多天皇の亡くなった後の歌とされる。
「来てみれど心もゆかず」は、来て見ても心が晴れない、の意である。「心ゆく」は満足する、気が晴れる、の意で、それを打ち消している。歌会の席で、花を見ても心が動かないと述べる形になる。
「ふるさと」は、以前から馴染んだ旧い場所をいう。ここでは宇多院を指し、かつて人の集った所という含みを持つ。
「むかしながらの花」は、昔のままの花、の意である。花は変わらず咲き、変わらず散っている。
結句の「花は散れども」は言いさしで、述語を置かずに終わる。散っているけれども——その先が言われないまま歌が閉じられる。花は昔のままなのに、この場はもう昔ではない、という筋が、言わずに残される形になっている。七十二段の「池はなほむかしながらのかがみにて」と同じく、変わらないものを先に置いて不在を示す組み立てである。
宇多院——宇多天皇の御所。
南院(なんゐん)——邸の名。
君達(きんだち)——貴族の子弟。
右京の大夫(かみ)——右京職の長官。
心ゆく(四段動詞)——満足する。気が晴れる。
ふるさと——以前から馴染んだ旧い場所。
ながら——〜のままで。
ども——〜けれども。逆接を表す。
- 出典
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大和物語
- その他の歌
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