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忘れじとたのめし人はありと聞く
いひしことの葉いづちいにけむ

歌の意味
忘れまいと言って頼みに思わせたあの人は、健在だと聞く。それならばあのとき言った言葉は、どこへ行ってしまったのだろう。
鑑賞
81 頼めし人

 季縄の少将の娘である右近が、今は亡き宮に仕えていたころ、権中納言の君が右近のもとに通っていた。約束などを交わす仲であったのに、右近が宮中に出ることがなくなって里に戻ってしまうと、訪ねてくることがなくなってしまった。宮中の人が来たときに、どうですか、あの方は参内しておられますか、と右近が聞くと、常に参内しておられます、と言うので、その人に手紙を差し上げるときに詠んだのがこの歌である。地の文はこれだけで、段はこの一首をもって閉じられる。
 右近は季縄の少将の娘で、女流歌人として知られる。八十一段から八十五段まで五段続けて登場し、八十四段の歌は拾遺集に採られ、小倉百人一首にも収められている。権中納言の君は権中納言を務めた人である。仕えていた宮については、今は亡き宮という以外、地の文に記載がない。
 場面は右近が里に戻っていた時期である。宮仕えを離れたことで、相手の訪れが絶えている。
 詠出の直接の契機は、宮中の人から、あの方は常に参内しておられると聞いたことである。歌は手紙に添えて贈られた。
 段はこの一首で終わり、権中納言の返しも後日のことも語られない。この歌は後撰集に収められている。

 「忘れじとたのめし人」は、忘れまいと言って頼みに思わせた人、の意である。「たのむ」は下二段では期待させる意になる。相手が言った言葉から歌を起こしている。
 「ありと聞く」は、健在であると聞く、の意である。宮中の人から得た知らせを、そのまま置いている。人はいるのに言葉だけがない、という対比が、ここで作られる。
 「いひしことの葉」は、言った言葉のことである。「ことの葉」は言葉を葉に見立てた言い方で、次の「いづちいにけむ」につながる。
 結句の「いづちいにけむ」は、どこへ行ってしまったのだろう、という過去の推量である。人の所在は分かったが言葉の行方は分からない、という筋になる。相手を責めるかわりに、言葉を探す形をとった一首である。

季縄の少将——藤原季縄のこと。
権中納言——中納言の定員外に置かれた官職。
参内(さんだい)——宮中へ参上すること。
たのむ(下二段動詞)——期待させる。あてにさせる。
ことの葉——言葉。言葉を葉に見立てた言い方。
いづち——どこへ。どちらへ。
いぬ(ナ変動詞)——行ってしまう。去る。
けむ——〜たのだろう。過去の推量。
出典
大和物語
その他の歌