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なき人の巣守にだにもなるべきを
いまはとかへる今日のかなしさ

歌の意味
亡き人の巣守にでもなってくださるはずだったのに、もうこれまでと帰っていかれる今日の悲しさよ。
鑑賞
94 巣守

 今は亡き中務の宮の北の方が亡くなってから、幼い子どもたちを引き連れて、妻の親であった三条の右大臣の屋敷に住んでいた。喪も明ければずっと独り身では過ごせないので、亡き北の方の妹にあたる九の君を妻として貰おうと思っていたのを、何の差し支えがあろうか、それはよい、と親兄弟も思っていた。しかしどうしたことか、師尹がまだ侍従であったころ、手紙を九の君に渡しているという噂が聞こえてきた。それで中務の宮は不愉快だと思ったからであろうか、もとの屋敷に帰られてしまった。そのときに三条の御息所のもとから「なき人の巣守にだにもなるべきをいまはとかへる今日のかなしさ」と言ってきたので、中務の宮の返しに「巣守にとおもふ心はとどむれどかひあるべくもなしとこそ聞け」とあった。以上が段の全体である。
 中務の宮は中務省の長官を務めた親王である。三条の右大臣は藤原定方で、九十一段にも登場する。北の方はその娘にあたり、九の君はその妹である。三条の御息所は定方の娘で、続く九十五段と九十六段にも登場する。侍従は天皇の側近くに仕える官である。
 場面は、中務の宮がもとの屋敷へ帰っていく日である。九の君との縁組みが噂によって崩れたあとにあたる。
 詠出の直接の契機は、その宮が帰られることである。歌は帰る宮のもとへ贈られた。
 中務の宮はこれに返しを詠み、贈答をもって段は閉じられる。

 「巣守」は、孵らずに巣に残された卵のことである。他の雛が巣立ったあとも残る卵であることから、あとに留まるものを指す語として用いられている。
 「なき人の巣守にだにも」は、亡き人の巣守にでも、の意である。「だに」が、せめてそれだけでも、という最小限の願いを示す。妻を失ったあとも、この家に留まってほしいという願いになる。
 「いまはとかへる」の「かへる」に、帰ることと、卵が孵ることとが掛かる。宮が帰ることと、卵が孵って巣を離れることとが重なり、「巣守」の縁語として働いている。
 結句の「今日のかなしさ」は体言止めで、その日の悲しさを名指したまま終わる。留まってほしいという願いと、去っていく現実とを、鳥の巣という一つの景に収めた一首である。

中務の宮——中務省の長官を務める親王。
北の方——貴人の正妻。
九の君——九番目の姫君。
侍従(じじゅう)——天皇の側近くに仕える官。
巣守(すもり)——孵らずに巣に残された卵。
だに——せめて〜だけでも。
かへる——「帰る」と「孵る」との掛詞。
いまはと——もうこれまでと。
出典
大和物語
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