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白山に降りにし雪のあと絶えて
今はこし路の人も通はず

歌の意味
白山に降り積もった雪で道の跡も絶えて、今は越路を通う人もない。
鑑賞
95 越路の人

 同じく三条の右大臣の娘、三条の御息所の話である。帝が亡くなられたのち、式部卿の宮が通ってきていたのが、どうしたことか来なくなってしまったころ、斎宮からの手紙の返事に、御息所は式部卿の宮が来られないことなどを記し、最後にこの歌を添えた。地の文は、御返事はあったけれども本にはないとある、と結んでいる。
 三条の御息所は藤原定方の娘である。前の九十四段にも登場し、中務の宮に巣守の歌を贈っている。式部卿の宮は式部省の長官を務めた親王で、十七段から二十段に現れる宮とは別人とされる。斎宮は伊勢神宮に仕える内親王で、九十三段の斎宮とも別人とされる。
 場面は、宮の訪れが絶えた時期である。歌に雪が詠まれていることから、冬のことと知れる。
 詠出の直接の契機は、斎宮からの手紙に返事を書いたことである。宮が来られないことを記した文の末尾に、この歌が置かれた。
 地の文は、返事はあったが本にはない、と記して段を閉じる。百二十段にも三条の御息所と斎宮のやりとりが語られ、そこでは斎宮からの返しを忘れたと記される。この歌は後撰集に収められている。

 「白山」は加賀の国にある雪深い山である。七十五段でも「越のしら山」として詠まれている。
 「降りにし雪」の「降り」に、雪が降ることと、古びることをいう「古り」とが響く。降り積もった雪と、古びてしまった自分の身とが重なる。
 「あと絶えて」は、足跡が絶えて、の意である。雪が積もれば道の跡は消える。人の訪れが絶えたことと重なる。
 結句の「こし路の人も通はず」の「こし路」に、越の国へ通じる道と、来た道をいう「来し路」とが掛かる。越路を通う人がないことと、かつて通ってきた人がもう来ないこととが、この一語で一つになる。雪、跡、道と、一続きの景で組み立てながら、訪れの絶えたことを述べた一首である。

三条の御息所——藤原定方の娘。
式部卿の宮——式部省の長官を務める親王。
斎宮(さいぐう)——伊勢神宮に仕える未婚の内親王
女王。
白山(しらやま)——加賀の国にある雪深い山。
降り——「降り」と「古り」とを響かせる。
あと——足跡。また、訪れの跡。
こし路——「越路」と「来し路」との掛詞。
通ふ(四段動詞)——行き来する。訪れる。
出典
大和物語
その他の歌