くやしくぞのちにあはむと契りける
今日をかぎりと言はましものを
- 歌の意味
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悔しいことに、のちに逢おうと約束してしまった。今日を最後だと言えばよかったものを。
- 鑑賞
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101 のちに逢はむ
同じ藤原季縄の少将が病に伏せって、少し快方に向かったとき、宮中にやってきた。近江の守である源公忠が、まだ掃部の次官であり蔵人でもあったころのことである。季縄は公忠に逢って、まだ気分が直りきっていないが、ふさぎ込むのと勤めが気がかりで参上した、今日はこれで退出してあさってごろには正式に出勤しよう、そのように帝にお伝えください、と言って帰っていった。その三日ほど後に、季縄のもとから手紙が届けられ、そこにこの歌だけが書かれていた。驚いて涙ながらに使いに様子を問えば、たいへん弱ってしまいましたと言って泣き出し、それ以上は聞き出せない。自分で行こうといって牛車を取り寄せ、五条の少将の家に着いてみれば、ひどく騒がしい様子だが門は閉ざされている。少将は死んだのだった。尋ねても取り合ってもらえず、公忠はひどく悲しんで涙ながらに帰った。この顛末を伝えると、帝もたいそう哀れに思われたという。
藤原季縄は少将を務めた人で、前の百段では大井の住まいから山吹の歌を詠んでおり、八十一段から八十五段に登場する右近の父にあたる。源公忠は近江の守を務めた人で、四段では小野好古に昇進の知らせを歌で伝えている。三十六歌仙の一人に数えられる。
場面は宮中での対面から三日後である。季縄はすでに危篤にあった。
詠出の直接の契機は、あさって出勤しようと約束したその約束が果たせなくなったことである。歌は公忠のもとへ手紙で届けられた。
公忠は駆けつけたが、すでに門は閉ざされていた。段は帝が哀れに思われたという一文で閉じられる。この歌は新古今集に収められている。
「くやしくぞ」と、初句に悔いを置いて始める。「ぞ」の係りが結句の「ける」で結ばれ、悔いの一語が歌全体を支える形になる。
「のちにあはむと契りける」は、のちに逢おうと約束してしまった、の意である。あさってには正式に出勤しようと言い残したことを指す。
「今日をかぎりと言はましものを」は、今日を最後だと言えばよかったものを、の意である。「まし」が事実に反する仮定の帰結を表し、「ものを」が詠嘆を含む逆接で言いさす。
自分の死を予感しながら、それを直接には言わず、約束のしかたを悔やむという形にしている。歌のほかには何も書かれていなかったと地の文が記しており、この一首だけで別れを告げたことになる。四段で公忠が歌一首に昇進の知らせを託したのと同じく、散文で言わずに歌に収める形が、ここでも繰り返されている。
少将——近衛府の三等官。
掃部(かもん)——掃部寮。宮中の清掃
設営にあたる役所。
蔵人(くらうど)——天皇の側近くに仕える役。
くやし——悔しい。残念だ。
契る(四段動詞)——約束する。
かぎり——最後。それきり。
まし——〜ばよかったのに。事実に反する仮定の帰結。
ものを——〜であるのに。詠嘆を含む逆接。
- 出典
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大和物語
- その他の歌
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